「健康管理のプラットフォーム」を掲げて、企業・健康保険組合・健診機関・個人を対象とした支援サービスを提供する株式会社バリューHR(https://www.valuehr.com/docs/)。東証一部上場企業のなかでも異彩を放つオンリーワン企業は、どのように誕生したのか。創業社長の藤田美智雄氏に話を聞いてきました。

バリューHRのスタートは健保組合設立支援事業から

新保 健康診断や健康管理を通して企業をサポートするという事業は画期的だと思うのですが、どういった経緯でこうしたサービスを始めたのですか?

藤田 私は、41歳まで外資系の会社で人事をやっていまして、その会社の業務として、自前の健康保険組合を立ち上げることになったんですね。もちろん、私も含めそんなことを経験している人は誰もいませんでした。仕方がないので勉強をしたのですが、調べれば調べるほど行政手続きが大変だというのがわかりました。

そのときに得た経験から「どうすれば企業が健保組合を自前でつくれるのか」は十分わかりました。それから健保組合というものが、どういうことをやってもいいのか、つまり、提供するサービスをもっと充実できることもわかりました。

そうなると、健保組合づくりを手伝ってあげれば、企業とその従業員の保険料を下げられるので喜んでもらえます。可処分所得が増えるわけですからね。

新保 それで独立を決意されたのですか?

藤田 いやいや、41歳までサラリーマンだったくらいですから、独立するつもりはなかったんです。若い頃は「何か商売ができたらいいな」くらいの気持ちもあったのですが、そういう気持ちも薄れていました。

そんなわけで、健保組合の設立支援は会社の新しい事業になると思い提案したのですが、そのときの上司があまり理解していなかったようで消極的だったんですね。私はニーズがあるのはわかっていましたから「この役割を果たすためには独立するしかない」と思いました。だから、押し出されるように独立したというのが正直なところです。それから20年。あっという間でした。

▲自身のサラリーマン人生で得た経験から41歳にして独立した藤田代表

3回の転職で自分の価値と希望する給料を言った

新保 でも、本当に独立するつもりがない人だったら、年齢のことなどもあって諦めてしまうと思うのですが、何が起業の原動力だったのでしょうか?

藤田 やっぱり「みんなが困っていることがあると、なんとかしなきゃいけない」と思うんですよね。若いときは自分中心でやってきたけれど、だんだんと世の中のためというか、みんなにとってプラスになるような仕組みなり、制度なりを提供して、それを事業としてできればという思いがありました。

起業となるとリスクも自分で取ることになるのですが「お金はあとからついてくる」と思っていましたね。そりゃあ、いろいろとお金は多いに越したことないのですが、お金を中心にはあまり考えてはいませんでした。

新保 サラリーマン時代から、そういった斬新なアイデアを出していくタイプだったのですか?

藤田 ちょっとひねくれたところのあるサラリーマンだったのは確かですね。会社のような組織では、人が人を評価することになるのですが、それが正しいかどうかはわからないわけでしょう。一般には評価されたら評価されたまま受け取るのでしょうが、私なんかは人事評価されても「それはおかしい」とか、ずっと平気で言ってきました。まあ、昔のことですが、反発していたんですね。

私は転職を3回しているのですが、面接では「自分はこういうことができて、こういう価値があるから、給料はこのくらいください」って、必ず自分から言いました。

新保 それはすごいですね!

藤田 自分というのは商品なのだから、何ができるというのを相手にしっかり伝えて、それについてきちんと価値を認めてもらう必要がある。ずっとそれをやりながら転職してきました。変わり者なんです。

▲会社員→フリーアナウンサーという人生を歩む新保アナも頷くばかり