“令和初の真打”として、今やメディアに引っ張りだこ、元暴走族総長という異色の経歴を持つ落語家・瀧川鯉斗氏。ここでは、当代きっての“若手真打”が、着ていた特攻服を脱ぎ捨て、初めて聴いた落語の衝撃に打ちのめされ、新たな世界に飛び込んだ修業時代の思い出を語ってもらいました。
※本記事は、瀧川鯉斗:著『特攻する噺家』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。
とうとう決まった弟子入り
春風亭鯉昇の独演会で衝撃を受けてから、しばらくして決意を固めた俺は、アルバイト先のオーナーに訊ねた。
「鯉昇さんは今度、いつ来ますか?」
「どうしたんだよ?」
「いや、本当に落語がやりたい、って伝えたくて」
「……そうか。わかった」
オーナーは早速連絡を取ってくれたようだ。間もなくして鯉昇さんが店に来てくだ
さった。
「新宿で寄席を見てきました。20回くらい……」
「あそこが仕事場でいいの?」
「はい」
「……そう。じゃあ明日から、うちに来なさい」
翌日。俺は赤レンガの独演会を企画したプロデューサーさんとともに王子駅に降り立った。鯉昇さんの家を訪れるためだ。駅前の不二家に入り、お茶をした。
「いよいよだね」
「はい」
「なんか緊張するね」
「そうっすね」
「そろそろ歩いていこうか」
「あ、はい」
鯉昇さんのマンションの手前に来たとき、俺は思わず「えっ?」と声を上げた。バイクにまたがったオーナーがいたのだ。
「俺もちょっと心配だったからよ。来た」
しかもスーツ姿だった。ヘビースモーカーで、スタッフが遅刻するとテーブルに足をのせて「おせえんだよ、この野郎!」と凄むような人が、スーツを着て駆けつけてくれたのだ。俺は胸が熱くなった。
「ありがとうございます」
頭を下げると、オーナーは照れくさそうに「行くぞ」とバイクを降りた。
いよいよ3人で鯉昇さんに向かい合うと、正座したオーナーは「こいつのこと、どうぞよろしくお願いいたします」と深々と頭を下げてくれた。それを見た俺もあわてて頭を下げた。
このときのことは今でも鮮明に覚えている。のちに鯉昇師匠も「あの人はおまえの親だからね」とおっしゃっていた。本当にその通りだ。まだ名古屋の両親には、落語の“ら”の字も伝えていなかったから、“東京のお父さん”であるオーナーがいたから、鯉昇さんも応じてくれたのだ。
『フロムエー』で赤レンガを見つけなければ、オーナーに出会わなければ、俺は絶対に落語家の道へ入ることはなかった。実の息子のように、俺を育ててくれた。
「まずは見習いということで」
鯉昇さんがそう言った瞬間、俺の弟子入りが決まった。
俺が弟子入りが決まって間もなくして、地元・名古屋に帰省する機会があった。
「総長、いま何してるんすか?」
俺は暴走族時代の仲間たちに、ICレコーダーに録音した師匠の落語を聞かせた。みんな真剣に最後まで聞いてくれた。しばらく沈黙があったあと、一人が言った。
「総長、俺にはムリっす!」
仲間たちは落語を一度も聞いたことがないのはもちろん、『笑点』の出演者たちが落語家だということを知らなかったし、落語家という生き物の存在すら知らなかった。