丘に鎮座する蟹-コルビュジエが生み出した秩序-

完成の9年も前に拾った蟹の甲羅が、全ての始まりでした。

コルビュジエは、蟹というモチーフをヒントに使うことで、この複雑な造形を使いこなし、一つの建築にまとめ上げる秩序を生み出していたのです。なんという型破りな造形手法でしょうか。これこそコルビュジエ晩年の「覚醒」ともいえる妙技です。

地球上に礼拝堂は数多かれど、こんな巨大な蟹を緑豊かな丘の上に作った建築家は、ル・コルビュジエただ一人でしょう。

さらに、内部空間を探索すると、この建築が決して形だけのことを考えて作られたのではないことがわかります。

出っ張った2つの“目”(鐘楼)は、見事に朝日と夕日を捉え、太陽の動きをつぶさに映し出します。さらに“鋏”(大きな鐘楼)は南に向いており、一日中、神々しい光を暗い内部に届けることができるようになっています。

さらに分厚い壁の中には、巨大な“甲羅”を支えるための柱が入っており、外側に向けてすぼめた開口からは、ステンドグラスを通った幻想的な光を内部に届けています。このように、丘に鎮座する巨大な蟹には「建築」としてのクリエイティビティが遺憾なく発揮されているのです。

コルビュジエは、こういった数々の空間のアイデアやエッセンスを、蟹の甲羅という着想を核に一つの形態に練り上げ、ロンシャンの礼拝堂という傑作を生み出したのでした。最後に、彼がデザインにおいてまさに「覚醒」する様子を綴ったテキストを紹介します。

「ひとつの仕事を引き受けると、ふつう、わたしはそれを頭のなかにしまい込み、何ヶ月ものあいだ、1枚もクロッキーを描かない。(中略) そうしておいて、それが「漂い流れ」「ぐつぐつ煮え」「発酵する」ままにしておく。やがて、ある日、内側の存在が勝手に動きだして、カチリという音がする。鉛筆や木炭や色鉛筆(色はこのやり方の鍵である)を取り上げて、紙の上で出産する。アイディアが出てくる−子供が出てくる。この世界にやってくる。そうやって、誕生するのである。 ―ル・コルビュジエ」〔注〕

フランスを訪れた際は、のんびり列車に揺られて足を運んでみてはいかがでしょうか。丘の上の自然のなかで、じっくりコルビュジエの創作と対話する、かけがえのない時間が得られること請け合いです。

▲ロンシャンの礼拝堂 イラスト:芦藻彬

とてつもなく巨大で、どこか愛らしい、一匹の蟹と一緒に。

【建築コラム用語解説】

※1ル・コルビュジエ
本名は「シャルル=エドゥアール・ジャンヌレ=グリ」。この名前で検索すると、画家としての彼の作品も出てくるから面白い。かつてのミケランジェロやダ・ヴィンチも、芸術家であると同時に天文学者や建築家でもあったことを思い出す。

そんなコルビュジエは、フランク・ロイド・ライト、ミース・ファン・デル・ローエに並んで「近代建築3大巨匠」と称される。いわゆる「モダニズム」の父である。20世紀の新しい建築のマニフェストを掲げ、多くの実作や建築論でそれを世に問うた。著作は未だ読み継がれ、多くの建築家たちに影響を与えている。

2モダニズム
「モダニズム」とは、20世紀初頭に絵画や彫刻、建築といったさまざまな分野で起こった実験的な「芸術運動」のことである。伝統的な芸術の枠にとらわれない、エネルギッシュで新しい表現が各地で花開いた。作家ごとに多様な表現が模索されたが、建築における「モダニズム」に絞ってみると、大きな流れの一つには「建築の持つ機能が重視されるようになった」ということがある。

中世の教会が、さまざまな彫刻・壁画などの多様な「装飾」を持っていたのに対し、ル・コルビュジエら近代建築家は、装飾の少ないシンプルさや住みやすさを追求した。「美」や「芸術」は過去のものとされ「機能」「実用」の充実が叫ばれた。

「住宅は住むための機械である」というのは、よく知られたコルビュジェの名言で、実際に彼は安価で住み易い住宅を作ることに心血を注いでもいる。しかし、こういった「過去の芸術を否定する」運動が、それ自身が新しい「芸術」になりうるというのは興味深い。コルビュジエは機能や実用を重んじる近代人であったが、同時に新しい地平を切り開かんとする芸術家でもあったのだ。

注:ジャン・プティ編『ロンシャン礼拝堂のためのテキストとデッサン』
1965年(第8版は2019年3月印刷)/ポルトリー・ノートル・ダム・デュ・オー発行