「進化の方向性」を予測することは可能なのか――。誰しも一度は興味をもったことがあるのではないだろうか? 著書『化石の分子生物学』にて講談社科学出版賞を受賞した分子古生物学者・更科功氏が、海外での実験や研究からやさしく解説する。
※本記事は、更科功:著『未来の進化論 -わたしたちはどこへいくのか-』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。
グッピーの進化の方向が予測できた!
カナダ生まれの進化生物学者、ジョン・エンドラー(1947~)は2つの実験を行った。
1つめは、人工的な環境での実験だ。アメリカのプリンストン大学の温室のなかに1~2メートルぐらいの池をいくつか作り、そこにグッピーと捕食者、あるいはグッピーだけを放したのである。
2つめは、自然界での実験だ。トリニダード島の渓流のなかで、グッピーのいないところを探して、そこにグッピーを放したのである。グッピーを放した場所には、捕食者のいるところもあれば、ほとんどいないところもあった。捕食者の多少によって、グッピーがどう進化するかを確かめるわけだ。
結果は、人工的な環境でも自然界でも同じで、しかも明快だった。
グッピーは世代を重ねるにつれ、捕食者がいるところでは地味になり、いないところでは華やかになった。グッピーには、捕食者の存在や(見かけが華やかなオスを好むという)メスの好みという原因によって、自然淘汰が働いて進化したのである。
しかも、進化のスピードは速かった。地味なグッピーから華やかなグッピーに、あるいはその逆に進化するのに、だいたい2年しかかからなかった。進化はかなり速く進むのである。
さらに、ここで大切なことは、進化の方向は予測できるということだ。
捕食者を調節することにより、グッピーの体色は予測通りに進化したのである。つまり、複数のグッピーの集団が同じ道を辿るように進化したのだ。
人類の遠い祖先は最古の魚類?
私たちヒトは脊椎動物だが、脊椎動物は脊索動物という、さらに大きなグループのなかに含まれる。
脊椎も脊索も、体を前から後ろへ貫く棒のようなものだが、脊椎は主に鉱物でできており、脊索は主に有機物でできている。脊椎動物は、脊索動物のあるグループから進化してきたので、系統的には脊索動物のなかに含まれる。
アメリカの進化生物学者、スティーヴン・J・グールド(1941~2002)は、著書『ワンダフル・ライフ』(邦訳:渡辺正隆訳、早川書房)のなかで、ピカイアという脊索動物のことを述べている。
ピカイアというのは、カンブリア紀(5億4100万年前~4億8500万年前)に生きていた脊索動物で、当時知られていた最古の脊索動物でもあった。ということは、ピカイアは私たちの遠い祖先(あるいはその近縁種)だったかもしれない。
ピカイアは長さが5センチメートルほどの小さな動物だ。カンブリア紀の動物のなかでは特に目立った存在ではないし、化石もそうたくさんは見つからないので、個体数もそれほど多くなかっただろう。
カンブリア紀には、さまざまな形をしたユニークな動物がたくさんいた。しかし、そのほとんどは子孫を残すことなく絶滅してしまった。ピカイアだって絶滅しておかしくなかった。
だが、ピカイア(あるいはその近縁種)の子孫は生き残り、その結果として私たちがいるのである。しかし、もしもピカイアが生き残ったのが、ただの偶然だったとしたら……。
もう1回、生命の歴史というテープをリプレイしたら、ピカイアは子孫を残すことなく絶滅したかもしれない。そのときは、今の地球に私たちは存在しないことになる。
このようにグールドは、生命の進化における偶然性を強調した。生命の歴史のテープを何回リプレイしても、そのたびに異なる世界に辿り着くだろうというのである。
つまり、進化は予測不可能だというわけだ。
ただし、その後ピカイアよりも古く、しかもピカイアより私たちに近縁と考えられる脊椎動物の化石が発見された。その一つが、現在知られている最古の魚類、ミロクンミンギアだ。
そのため、ピカイアが私たちの祖先である可能性はほぼなくなった。とはいえ、このことが偶然性を重視するグールドの議論の本筋に影響することはない。また、グールドとは反対の見解を述べる人も、もちろんいるのも事実だ。