学校の教科書には出てこない歴史的事実があります。南北戦争の背後にいたイギリスの存在、そして通貨発行権という“特権”に手を出して暗殺されたリンカーン、ガーフィールドとケネディ。元駐ウクライナ大使の馬渕睦夫氏と前ロンドン支局長の岡部伸氏が、近現代史やインテリジェンスを交え真実の世界の姿を炙り出す。

※本記事は、馬渕睦夫×岡部伸:著『新・日英同盟と脱中国 新たな希望』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。

南北戦争は「奴隷制をめぐる戦い」ではない

馬渕 2020年のアメリカ大統領選挙を世界史的な視野で振り返ってみた場合に、類似するポイントとして「ロシア革命」「ケネディ暗殺」がありますが、それに続くのが「南北戦争」です。

やはり今日の民主党という存在と、南北戦争の歴史は切っても切れない関係にあります。  

ご存じのように、今日のアメリカの二大政党は、民主党と共和党ですよね。実は民主党の方が先に誕生し、その後に共和党ができました(民主党は1828年1月設立。共和党は1854年3月20日設立)。共和党が北部中心だったのに対して、民主党はいわゆる南部中心、つまり奴隷制を支持する政党だったんですね。

今でこそ、彼らは「黒人差別反対!」なんて言っていますけど、歴史的に見れば「黒人差別政党」だったわけです。今日の民主党を理解するには、まずそのポイントを押さえておかないといけません。

我々は、これまで学校で南北戦争を「奴隷制をめぐる戦い」だと習ってきましたが、事実はまったく違います。「奴隷制の廃止」というのは北部側が結局、世論の支持を得るために戦争の大義として掲げたにすぎません。北部を率いたエイブラハム・リンカーン(1809〜1865)も奴隷を所有していたと言われていますよね。

▲エイブラハム・リンカーン像 出典:PIXTA

ようするに、奴隷制廃止云々はマイナーな理由というか、あとで取ってつけた理由であって、 真の理由は、これは岡部さんが詳しいと思いますけど、イギリスがそそのかしたというわけです。当時のイギリスはベンジャミン・ディズレーリ(1804〜1881)という、ユダヤ系の最初の首相ですね。

岡部 はい。英国が栄えた19世紀後半のビクトリア女王時代の首相です。小説家としても活躍しました。ユダヤ人ながら保守党内で上り詰め、保守党首となり、首相を2期務めました。初代の「ビーコンズフィールド伯爵」として、ロンドンのウエストミンスターのビッグベンの前にあるパーラメントスクエアに、チャーチルやネルソンらとともに彫像が立てられています。 

▲ベンジャミン・ディズレーリ 出典:ウィキメディア・コモンズ

保護貿易を進め、スエズ運河の買収・ロシアの南下政策阻止・インド帝国の樹立など、帝国主義政策を推進しましたが「最悪の事態に備える」という彼の言葉は、危機管理や有事の鉄則となっています。

南北戦争で、イギリスは綿花の輸入先だった南部を支持したと言われています。

「南北戦争」の裏にひそむイギリスの謀略

馬渕 そもそも、なぜイギリスがアメリカの分裂を図ったかというと、当時のアメリカ合衆国が、いよいよ覇権争いでイギリスを抜きつつあったわけです。だから、それにイギリスが危機感を抱いた。

もっとはっきり言えば、シティ〔City of London:ロンドン中心部にある世界的な金融街〕の金融資本家たちが危機感を抱いたというわけです。

当時の彼らの金ヅルは南部だったわけですね。彼らが南部の綿花栽培に投資して、そのカネで南部の連中は奴隷労働を使って安く綿花を作る。そして、それをイギリスに輸出してマンチェスターなどの繊維産業を栄えさせ、イギリスがその繊維を世界に売って儲けていたという構図です。

ところが、やがて北部が工業化してくると、国内産業を守り育てるために、いわゆる保護主義政策を行います。つまり、競争相手であるイギリス製品に高い関税をかけるようになったわけです。これで北部と南部の利益は相反するようになりました。

そこにイギリスが目をつけて、南部に対して「北部と一緒にやっていたら、あなた方の未来はない。だから、アメリカ連邦から脱退しろ」と、そそのかします。その結果、南部のかなりの州が連邦を離脱して起こったのが南北戦争なんです。

岡部 南北戦争の背後にあったイギリスの存在はよく言われます。産業革命を成し遂げ、世界の工場と言われたマンチェスターなどでは、南北戦争が始まると、頼っていた南部からの綿花の輸出が途絶え「綿花飢饉」と呼ばれる事態になりました。輸入の4分の3を占めていたアメリカからの輸出が5%程度まで下がり、工場は大半が操業中止となり、労働者はリンカーンを支持しました。

しかし、イギリスとしては南部を支持しました。初期は少数派の南軍が優勢で、当初リンカーンが唱えていたのは、新しくできた州に奴隷制度が拡大することに反対する立場で、奴隷制度自体は否定していなかったからです。

ところが奴隷制度を批判的に描いた『アンクル・トムの小屋(Uncle Tom’s Cabin)』〔アメリカの女性作家ハリエット・ビーチャー・ストウの小説。1852年刊〕がベストセラーとなり、北部で奴隷制反対が高まると、リンカーンは奴隷解放路線に舵を切り、国際世論に訴えました。

▲『アンクル・トムの小屋(Uncle Tom’s Cabin)』 出典:ウィキメディア・コモンズ 

1863年1月1日。奴隷解放を宣言すると、イギリスは北部支持に寝返ったと言われます。南北戦争は開始から4年後の1865年に北軍の勝利で終結、分裂危機は回避されましたが、イギリスも新興の大国アメリカの勃興を恐れ、分断させたかったというのは同感ですね。 

さらに、その背後にシティの金融資本家たちがいたというのは、その通りだと思います。

馬渕 結局、南北戦争のときには背後にイギリスがいたわけです。イギリスというより、先ほども述べた通りシティがいた。つまり今回の大統領選挙との共通項でいえば、背後に「ディー プ・ステート」がいた、ということになるんですね。