「お前、すごいな」と家族で褒め合うカルチャー
サッカー選手とリユースショップの社員とでは、まったく違うように思うが、意外にも嵜本さんは、楽しむことができたという。
「毎日が本当に楽しかったのでよく覚えています。当時は20人くらいの会社で、僕は一番下からのスタートでした。朝6時から夜7時まで毎日働いていました。3,000円で買ってきた冷蔵庫を、自分がメンテナンスをして10,000円ほどで販売する。それが売れていく幸せ。商売って、こんなに面白いんだって無我夢中になりました」
やがて会社は大きくなり、事業が拡大していくと、父親は嵜本さん兄弟にためらうことなく経営を任せた。長兄・次兄・嵜本さんがそれぞれ26歳・25歳・24歳のときだった。
「まだ親父が社長であり続けてもよかったのに『お前らがやれ』と社長・専務・常務という役職を与えられたんです。社長って、なかなかその立場を手放せないと思うんです。むしろ親父の時代では『俺の背中を見て大きくなれ』と言いそうなものです。だけどもそれは、いうなれば昭和時代のマネージメントなんですよね。親父は僕たちに任せてくれた。そのときチャンスをくれたから、今があるんだと思っています。めちゃくちゃ感謝していますね」
今では兄弟それぞれが、起業家や事業家として会社を経営している。たまに父親や兄たちと会うときには、互いに褒め合うことにしているという。
「そのカルチャーを作ったのも親父なんですけど、家のルールとして『褒め合う』っていうのがあるんです。起業家としてライバルでもある兄たちと『今、こういうことをしている』という話をするんですけど、みんなで褒め合うんですよ。『すごいな』って。親父も『お前らには勝たれへん』って言いますしね(笑)」
一時はチームを見返したいと考えていた嵜本さんが、自分の価値を見つめ、サッカーに踏ん切りをつけることができたのも、こうした環境があってこそのものだろう。
「よく『尊敬する人は?』みたいな質問を受けるんですけど、僕は必ず『父親』と答えてきました。理由としては、やはり自分の利益を追求するよりも、とにかく息子とか家族を第一に優先して行動してきた人なので。こんな人格者はいないなって思いますね」
事業家となった嵜本さんは、もはや落ち込むことなどないという。
「本当に楽観的ですね。失敗したり、ミスが起きたりしたときは解釈を変えるようにしています。『これは試練を与えられたのだ』と。うまくいったらうまくいったで『たまたまうまくいっただけ』と思うようにしていますね。失敗の捉え方で人生は変わっていくんです。
ガンバ大阪にいた3年間、僕が『他責』の塊だったのは、やっぱり自分に自信を持つことができなかったからだと思います。ただ、今は自分のやってきたことに少しずつ自信を持てるようになってきたので、少しずつそういう風に世界を見れるようになってきました」