今は昔に比べると離婚率が増えていますが、自分の親世代はめったに離婚をしていませんでした。夫婦間の問題は今も昔も大きくは変わらないはずなのに……。新聞・テレビ・ラジオ等で話題沸騰中! 現役の看護師でもある女性僧侶・玉置妙憂さんが教える、「頑張る」はいいけれど「頑張りすぎない」心がラクになる生き方。

※本記事は、玉置妙憂:著『頑張りすぎない練習 無理せず、ほどよく、上手に休む――』(マガジンハウス刊)より、一部を抜粋編集したものです。

「頑張る」はいいけれど「頑張りすぎない」 玉置妙憂さん

求めすぎると「幸せ」は遠のく

何をしてもしなくても、トラブルというものは必ず起こります。人間関係は特にそう。家族はもちろん、親せきや近所づき合い、職場の上司や部下……、悩みのタネはつきませんね。

ひと昔前なら、お互い「そういうこともあるよね」と言って、何事もなかったことにできていたような気がします。ぐっとこらえて自分の中で折り合いをつけ、流して消してしまう。度量(どりょう)がある」とはそういうことでした。

私たちの親世代には、教えられることがたくさんあります。たとえば、「結婚」です。

親世代はめったに離婚しません。お話を聞いてみると、「なぜ、離婚しなかったのだろう……」と思うような、大変な経験をされている方が多いのですが、夫婦お互いに「いたしかたないね」と折り合いをつけ、上手に乗り切ってこられたのです。

今は昔に比べると、離婚率が増えているようです。私も30代で離婚の経験があります。

私が看護師になろうと思ったのは、長男が重度のアレルギーで、息子専属の看護師になろうと決心したことがきっかけです。最初の夫と考え方が違うなと思い始めたのは、その長男を出産したあとのことでした(看取ったのは、それから数年して出会い、再婚した夫です)。

夫婦といっても、もともとは他人同士。ずっと一緒に仲よくできるほうが奇跡です。
でも、やはり「ぐっと飲み込むことができなかったのかな」と思うこともあります。

また、教育の影響もあるでしょう。私たちは、「良いこと」と「悪いこと」を判断するよう教育されてきました。それは、けっしてまちがいではないのですが、「そこそこ」で折り合いをつけて流すということを忘れてしまったのかもしれません。

自分へのご褒美も「そこそこ」のモノで満足したい

私が幼少のころは、お正月や誕生日など、年に何回かのイベントがとても晴れやかに思えた時代でした。ケーキなど、めったに食べられるものではありませんでした。

大学生のとき、私はアルバイトをして初めてもらったお給料でケーキを買いました。「誕生日でもないのにケーキなんか買ってしまっていいのかな」と考えたことをとてもよく覚えています。

今はケーキなどあたりまえです。スーパーでもコンビニでも売っていて、特別でもなんでもありません。ケーキと並んで、子どものころの一大イベントだったお寿司も、くるくる回って、いつでも安く食べられるようになりました。

ひと昔前は、心を満たしてくれるものがわかりやすかったのだと思います。ところが今は、満足させてくれるものがどんどん少なくなって、もっと違うものを、もっと特別なものを、とあせっているようです。

「自分へのご褒美(ほうび)」も、そこそこで折り合いをつけることができれば、頑張りすぎることもないのですけれど。