アメリカ大統領は「プロテスタントの人たち」

題名に魅かれて読んでみると、明らかな宇野さんへの批判が書かれていました。

 私はここで、はっきりと断言するが、ロックフェラー家はWASPである。また、論者によってはモルガン、デュポン、カーネギー、さらにはフォードまでユダヤあつかいにして、こわいぞ、こわいぞ、と騒ぎたてる者もいる。
[『ユダヤを操るロックフェラー帝国の野望』96ページ]

ロックフェラーこそユダヤ最大の財閥とする宇野さんの言っていることと真っ向から対立します。

しかし私も、今でこそアメリカ合衆国の支配層は、ワスプ(WASP=White Anglo-Saxon Protestant)、つまり「白人で、ブリテン島に祖先を持つアングロサクソンで、プロテスタントの人たち」だと知っています。

誰でもすぐに調べられる事実を示しますと、歴代アメリカ大統領でプロテスタントではないのは、カトリックのジョン・F・ケネディだけです。また、純粋な白人でないのは、父親が黒人(ケニア系)のバラク・オバマだけです。他は全員「白人で、ブリテン島に祖先を持つアングロサクソンで、プロテスタントの人たち」がアメリカ大統領です。

▲アメリカ大統領は「プロテスタントの人たち」 イメージ:PIXTA

この二つの事実だけで、ユダヤではなくワスプこそがアメリカの支配者だとわかります。

さらに言うと、ユダヤ人はロスチャイルド財閥のような極端な例外を除けば、二千年間も帰るべき祖国を持てずに流浪していた人たちです。本当に世界を支配しているなら、なぜ自分の帰るべき祖国くらい持てないのか。ロスチャイルドだって、生きるために色んな国に寄生しているにすぎないのです。このあたりの詳しい事情が知りたい方は、小著『大間違いのアメリカ合衆国』(KKベストセラーズ/2016年)をどうぞ。

長く読み継がれている本には「意味」がある

当時の自分には、知りたいことがあっても、何をどうやって調べれば良いかがわかりませんでした。ただ「本当のことが知りたい」という熱情で、必死に手探りで調べたような気がします。

そうしているうちに、少なくとも「ロックフェラーはユダヤか?」という点に関しては、明らかに久保田さんの方が正確だとわかりました。「ロックフェラーは、ユダヤかワスプか」など、図書館に行けばわかりますし。

ここで私の「宇野熱」は、急速に冷めました。宇野さんの『ユダヤが解ると世界が見えてくる』の話の根幹は「世界を支配するユダヤ最大の財閥はロックフェラーだ」です。その大前提が間違っているのですから、後の話は聞かなくてよいのです。と、中学生の私でも判断できました。

とは言うものの、その後は久保田さんにハマったかというと、そんなことはありません。「ユダヤつながり」という訳ではありませんが『世界経済を動かす ユダヤの商法』(藤田田:著 KKベストセラーズ/1972年)をはじめ、藤田さんの本を読み漁るようになりました。ちなみに『ユダヤの商法』は何十回も読み直したと思います。

藤田さんは日本マクドナルド社長で、自称「銀座のユダヤ人」。『ユダヤの商法』は104万部のミリオンセラーとなりました。ただそれではなく、この本は私が生まれる前年発売の本ですが、14年後の1986年にも普通に本屋さんで発売していました。当時、藤田さんの本は5冊出ていましたが、すべて買い揃えました。

中学生のやることなので明確に目的意識があったわけではないですが、今にして思えば「長く読み継がれている本には、何かしらの意味がある」という読書術を、本能的にわかっていたのかもしれません。

「騙されない」ために読書を習慣とする

よく読書家は「古典を読め」と言います。古い本はそれだけでとっつきにくいのですが、古典には効用があります。百年、二百年と読み継がれてきた本には、それだけの意味があるのです。人を動かす、社会を動かす、何かしらの価値が。

読書家、教養人とは「古典を大量に読んで、教養を身に着けている人のこと」です。 

教養は、常識と言い換えてもよいかもしれません。何が正しいかを判断するための知識とでも言いましょうか。

騙されないための知恵を身に着けるには、よき読書を習慣とすることです。

▲「騙されない」ために読書を習慣とする イメージ:PIXTA

社会で結構な成功をおさめている経済人で「ユダヤ陰謀論」を信じている人に出会ったことは一度や二度ではありません。しかも「ユダヤ=ロックフェラー」説を信じている人に。そういう人に限って、ロックフェラーとロスチャイルドの区別も曖昧なので、頭が痛くなります。

現代、インターネットで情報があふれる時代だからこそ、何が本物か、ますますわからなくなっています。だから、読書の重要性が増しています。しかし現実には、出版界は比喩ではなく超超超不況なのに、毎日300点の新刊が本屋にあふれています。この情報の洪水の中で、どれを正しいと思えばよいのか。

私は「自分が正しいと思うこと」の一端を世の中に提示できればと思って、日々仕事をしているのです。