2020年に海外に移住した香港市民が9万人を超えたという報道がありましたが、こうした海外移住が加速している背景には何があるのでしょうか。中国ウオッチャーであるジャーナリストの福島香織氏に、中国と香港の関係について聞いてみました。
※本記事は、福島香織:著『ウイグル・香港を殺すもの - ジェノサイド国家中国』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。
香港は中国に「二度」返還された!?
香港は中国に「二度」返還されたといわれています。「一度目の返還」はいうまでもなく1997年、すなわち香港がイギリス統治下から中国にハンドオーバーされたことです。このとき、イギリスと中国による国際的な合意のもと、中国とは異なる政治・経済体制が香港で維持されることになりました。いわゆる「一国二制度」です。
当時つくられた香港基本法(香港にとっての憲法)の付属文書一(香港特別行政区行政長官の選出方法)、と付属文書二(香港特別行政区立法会の選出方法および表決手続)により、香港で普通選挙が実現できる道筋が示されました。いうなればこれは、イギリスが香港に置き土産として残した“民主化の種”でした。
この付属文書が与える普通選挙への道筋があったからこそ、香港市民は希望を失わずに、法治と自由と民主が取り戻せると信じて、社会運動やデモへの参加を継続してきました。
しかし、2021年3月11日、中国共産党政権はそんな“香港の希望”をあっさりと奪います。この日、北京で開催された全人代(全国人民代表大会)において、香港の選挙制度の「改正」に関する決定が賛成2895票、棄権1票、反対0票で採択されました。
これにより、香港基本法の従来の付属文書は全人代による新たな付属文書に置き換えられ、中国当局が香港の選挙を完全にコントロールできるようになったのです。国際社会や香港市民は、これを「二度目の返還」と呼びました。
香港の若者たちが起こした熱い運動
胡錦濤政権の「経済で静かに香港を飲み込む」方法は、確実に香港を内側から浸食し、このまま脅しも何も必要なく、自然に香港は中国に同化していくと思われていました。
ですが、胡錦濤政権の手法があまり効かない人たちがいました。経済活動にまだ参与していない、無垢な90年代生まれの10代の学生たち――今では香港デモを象徴する存在になっている周庭(アグネス・チョウ)や黄之鋒(ジョシュア・ウォン)、林朗彦(アイヴァン・ラム)らの世代です。
胡錦濤政権の末期、中国共産党は、香港で愛国国民教育の義務教育化を2012年9月までに実現し、3年後に全面導入を実現しようとしていました。
これに猛烈に抵抗したのが、香港のティーンエイジャーたちでした。国民教育科の授業には「中国共産党は進歩的であり、無私で団結している」「米国は政党間の争いが激しくて人民が苦しんでいる」などといった、明らかな噓の内容が盛り込まれています。彼らはそれを「洗脳教育」だと喝破しました。
そして、2011年5月には、黄之鋒・林朗彦らが主導して、国民教育の義務化に抵抗する組織「学民思潮 反対徳育及国民教育科聯盟」を結成〔のちに名前を「学民思潮」に簡略化〕。2012年3月以降、デモやハンガーストライキ、公共広場の占拠などを通じて、この国民教育科導入の3年延長を訴える運動を展開しました。
このティーンエイジャーの“熱”は大人たちにも伝わっていきます。若者たちの声を通じて、彼らの保護者や教師たちも次第に国民教育のおかしさに気づき、ティーンエイジャーたちの“政治運動”は大きく広がっていきました。2012年8月30日から香港政府庁舎前を黒いTシャツを着た市民たちが連日抗議集会を行い、9月7日夜には12万人〔主催者発表、警察発表は3万人〕が集まるまでになったのです。
結局、この抗議運動によって香港政府は翌8日に「国民教育の義務化」を見送り、導入するかどうかは学校ごとの判断に任せるとしたのです。