東スポ的な『蘋果日報』がもたらした功績

『蘋果日報』の「蘋果」とは「リンゴ」のことで、英語では「アップル・デイリー(Apple Daily)」、日本では「リンゴ日報」と呼ばれて親しまれました。黎智英によれば「アダムとイブがリンゴを食べなければ、世界に善悪の区別はなく、ニュースも存在しなかった」との意味が込められているそうです。

『蘋果日報』は創刊とともに、それまでの新聞のイメージを大きく変えました。カラーページや写真を多用し、娯楽や芸能記事を充実させた大衆紙のスタイルを確立。瞬く間に香港紙売上げ2位の座につき、香港返還前後には毎日の平均発行部数が40万部を超えるまでになりました。

『蘋果日報』は、ゴシップ満載のいわゆるイエローペーパーであり、日本でいうところの東スポ的立ち位置です。プライバシーを暴きたてるような過剰な取材も、煽情的なゴシップ記事も多く、下品な新聞として一段低くみられてきた時代も長くありました。

▲『蘋果日報』はゴシップ記事も掲載していたが… イメージ:PIXTA

しかし、一貫して反共の立場にあり、権威の顔色をうかがうようなことは一切ありませんでした。もっとも「報道の自由」を体現してきた新聞だったのです。

特に習近平政権になって香港のメディア弾圧が激しくなり、香港の伝統あるメディアが軒並み中国政府に忖度するような記事しか載せなくなるなか、真っ向から中国共産党批判の論評を載せていました。習近平政権による香港メディアへの弾圧が本格化して以降、『蘋果日報』ほど果敢であった新聞を私は他に知りません。

私が香港の取材現場で一番出会うことが多かったのは『蘋果日報』の記者でした。困ったときに手を差し伸べてくれたのも『蘋果日報』の記者が多かった気がします。香港を代表するジャーナリストの李怡はじめ、私の尊敬するジャーナリストやコラムニストたちの連載もたくさんありました。

2014年の雨傘運動のときには、有力紙の『サウスチャイナ・モーニング・ポスト』も『明報』も、中国当局に過剰に忖度して、香港の経済や観光、市民生活に悪影響を及ぼす懸念をまっさきに報じていました。

それに対して『蘋果日報』だけが、公道を占拠する若者たちの思いを代弁して報じていたのです。当時、黎智英の自宅には、自動車が突っ込んで門を破壊し、斧や脅迫状を残していくなどの強烈な嫌がらせを受けていたといいます。しかし、黎智英は香港の若者たちを支持する姿勢を一切変えませんでした。

2019年の反送中デモの報道も素晴らしいものがありました。主要紙がデモ参加者を「暴徒」と非難して報道するなかで、『蘋果日報』はデモ参加者の主張を正確に伝える紙面づくりに徹していたのです。すっかり新聞を信じなくなり、セルフメディアや新興ネットメディアにしか興味を持たなくなっていた香港市民も『蘋果日報』だけは買っていました。

香港中文大学メディア民意調査センターの調べでは2013年以降、香港市民からの信頼度を上げた新聞は『蘋果日報』だけです。2019年時点で『蘋果日報』の信頼度は『明報』に匹敵していました。香港の東スポ扱いであった『蘋果日報』が、香港の朝日新聞的ポジションにある『明報』と肩を並べるほどの信頼を、雨傘運動などの報道を通じて読者から獲得していったというわけです。

ゴシップ、イエロージャーナリズム、大いにけっこう。それは権威と相対する大衆の視線に身を置き、大衆の「知りたい」という欲望に忠実であるということです。ある意味、“ジャーナリズムの本質”ではないでしょうか。

▲“ジャーナリズムの本質”とは? イメージ:PIXTA