日本人の大好きな「自己責任論」の弊害

ムカイダイス 今、日本国民の多くがウイグルの現状や問題についてあまり知らないのも、学問的な蓄積がないというのも大きな要因なんです。マスコミの報道姿勢もさることながら、日本のウイグル学者たちが、現地の実情を学問レベルで社会にまったく伝えていない。最近になって、国会ではいろいろと議論されるようになったんですけど、やっぱり学問レベルのデータベースがないのは大きな問題だと思います。驚くべきことに、2016年以降、ウイグル関係の論文が全然ないんですよ。私が書いたウイグル文学の論文ひとつだけなんです。

福島 実際、私がウイグルについて書こうと思ったときも、日本語の資料が全然なくて苦労しましたね。もちろん、英語の資料ならあるんですけど、それを読みこなそうと思うと時間も労力もかかって大変です。

ムカイダイス 研究対象の現状を伝えるのも、学者の大切な仕事のひとつなのに、それを伝えられていない。学者としての役目を果たせていないのと同じです。もはや、それは学問ですらありません。私は別に日本の先生方にウイグルの味方をしてほしいわけではなくて、ウイグル社会の現状を、中国の顔色なんかうかがわずに日本の社会にそのまま伝えてほしいだけなんです。日本という“主権国家”で活動している学者としての責任と任務をごまかしてほしくない。その点、アメリカの学者たちは政治的な意図とは関係なく研究に取り組んでいるんですが、彼らの学者魂、研究成果に触れるたびに私は感動すら覚えます。

福島先生が、本のなかですごくいいことを書かれていました。「学者や記者を日本政府が国としてしっかり守らないといけない」と。そして、それができていないことが日本の大きな悩みのひとつだ、という主旨のことを書いていらっしゃいましたよね。

福島 ええ、そうなんです。この手の話は、日本のウイグル学者やマスコミがダメだっていうだけで終わらせていいものではなくて、実は日本政府の弱さ、日本の“国力”の弱さの表れでもあるんですね。アメリカのように毅然とした強い政府であれば、私たちメディアの人間も学者も心強いというか、国外で安心して取材やフィールドワークに取り組めます。でも、日本は国外で何か問題が起こったときには、私たちのような人間を簡単に切り捨てますからね。中国で捕まって拘束されても、日本政府は拘置所に差し入れしてくれるぐらいですよ。請求書は家族に送るらしいですけどね(笑)。

ムカイダイス それに、日本の国民も「国に迷惑かけるな! 自己責任だ!」ってバッシングします。

福島 ええ。ジャーナリストは近年、特に嫌われてはいますよね。たぶん学者に関しても、こういう人文系の研究っていうものを、やっぱり日本人はあんまり重視してないような気がします。「中国に行かなきゃいいじゃん」とか平気で言われそうですもんね。それから中国政府は、新疆の強制収容所を再教育施設や職業訓練施設だと言い張り、ウイグル人への強制労働も貧困対策であると主張していますが、日本の学者のなかにも、いろいろなデータを持ち出してウイグル人の強制労働や、強制避妊の問題を否定する人がいます。私からすると「いやいや、中国の専門家なら中国共産党のやり口、知ってるでしょう?」って思うんですど、やはり本当に「中国共産党がこんなひどいことをするわけがない」と思ってる人が実際にいるんですね。驚いたことに。

もちろん、私も強制収容所の中に入って、その実態を自分の目で確かめたわけじゃありません。家族や親戚が入れられた人の話とか、あるいは収容所から帰還して「私はこういう目に遭いました」という証言者が、これだけメディアに登場しているという状況から、中国共産党によるウイグル人弾圧の事実があると判断しています。でも、人によっては「いや、あなた方は慰安婦問題だと慰安婦が噓をついているって言うじゃないですか。どうして被害にあったというウイグル人が噓をついてないってわかるの?」という論法で、ものすごく反論してくるんですよね。

ウイグル問題に対するこうしたアンチ発信みたいなものが、2019年の後半くらいから徐々に出てきて、今ではものすごく増えてきています。たとえば、中国経済が専門の有名な丸川知雄さん(東京大学社会科学研究所教授)も、ウイグル人の強制労働や強制避妊を否定するような主旨の論文をメディアに書かれていました[『ニューズウィーク』日本版、2021年4月12日「新疆の綿花畑では本当に「強制労働」が行われているのか?」、2021年6月24日「新疆における『強制不妊手術』疑惑の真相」]。こういう日本国内での動き、つまり日本人が「ウイグル問題なんて、そんな重要な話じゃない」と問題を“希釈”しようとする反応を、ウイグル人の方たちはどのように思われるのでしょうか?

ムカイダイス そういう流れがあることは私も承知しています。ただウイグル問題に関しては、当事者によるおびただしい数の証言と、強制収容所の位置を示す衛星写真だけでなく、海外の学者が中国政府の出した中国語資料に基づいて研究したデータもたくさんあるんですね。たとえば私なら、これらをベースにして「ウイグル人への弾圧があった」と言えます。でも「なかった」と主張する人は、このようなすべての証言データを無視して「なかった」と口で言い続けるだけなんです。中国政府もしくはそれに近しい人たちが「なかった」と言うんだから「なかった」が正しい。そんなことがあるはずがないって。

こちらが証言を裏付ける証拠となるもの、論文あるいはデータベースが見つかったときに「あった」と主張する側を「なかった」と言う人々の圧力でもってひっくり返す。証言の信憑性は一目瞭然なのに。この人たちが、せめて「なかったという証言」を「あったという証言」と同じくらいの信憑性で出すことができれば、議論の余地もあるんですけれど。もちろん「できるものなら」ですが。

とはいうものの、ウイグル問題はもはや「ウイグル人の強制収容所があるのかないのか」あるいは「その中で、いろんなひどいことが行われているのかいないのか」という段階をはるかに超えています。日本においては、ひとりの人間として、自分と同じ人間が、アジアのすぐ近くでどんな目に遭ってるのか、ということを真剣に考えて向き合わなければならない——そういうレベルの問題になっているんです。だから「なかった」と言っている人たちはもう時代遅れで、その主張に耳を傾けること自体が愚かな行為であると、私はそういうふうに感じています。

≫≫≫ 明日公開の-その3-へ続く

▲カナス湖  出典:PIXTA

 ※本記事は、福島香織:著『ウイグル・香港を殺すもの - ジェノサイド国家中国』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。