“心”をなくした漢民族とは絶対に一緒になれない
ムカイダイス 福島先生が今おっしゃったことと関連するんですが、中国が民主化したとき、つまりウイグル人が漢民族と平等に暮らせるようになったときに、ウイグル人はどうするべきかという議論が私たちの間でかなり前からあります。でも、私にとって中国の民主化は、ウイグルの独立よりもはるか遠くに感じるんです。たとえばウイグルの独立が家の“電灯”くらいの距離だとすると、中国の民主化は“月”ぐらい遠い。
そもそも、私は本当の意味で「民主派」だと思える中国人にお会いしたことがありません。彼らは、確かに中国共産党には反対しているんですけど「祖国の統一のために、ウイグル・チベット・モンゴルは、中国が民主化しても中国と一緒になるべきだ」って言っているんです。でもこれって、おかしいですよね。なんで、この人たちは口では民主化を唱えながら、中華民族の統一のために「ウイグルは独立したらダメ」って言えるんですか。ウイグルの独立は、彼らがどうこう言うべき問題ではなく、私たちウイグル人が議論すべき問題です。それが認められないなら、本当の民主化とは言えないと思います。
漢民族の人たちの言う民主化は「中華民族」という、つくられたひとつの民族の“虚栄心”がベースにあります。これがおかしいんです。
一方で彼らは、300万人ものウイグル人が自分たちの国の政権によって強制収容されていても、同情すらしてくれません。たとえ自分たちと違う民族、違う言語の人々であっても、同じ人間が自分たちのすぐそこでひどい目にあっているなら、人間として無視はできないはずです。彼らはある意味、私たちより哀れだと思います。
この先、たとえ中国が民主化したとしても、こんなふうに“心”をなくした漢民族とは、私たちウイグル人は絶対に一緒にはなれません。一緒になったところで、彼らが他民族である私たちの悲しみ、私たちの喜び、私たちの故郷を大事にするとは到底思えない。だから、中国が本当の意味で「民主化」するということが、私には“月”並みに遠くに感じるんですね。
もし、中国が本当の意味で「民主化」するなら、私たちは独立して幸せに暮らしていくので、漢民族は漢民族で、民主化した中国社会のなかで幸せに暮らしていってほしいと思っています。
いずれにせよ、今後、もしこのウイグルと中国の問題にケジメをつけるときがきたら、勝ち負けに関係なく、私も立ち上がります。絶対に無視することはありません。そういう魂をもち続けていたいです。
※本記事は、福島香織:著『ウイグル・香港を殺すもの - ジェノサイド国家中国』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。