2021年7月に創設100周年を迎えた中国共産党。習近平総書記は引き続き政権を維持する意欲を見せていますが、彼が一番気にしているのは一般大衆であると、ジャーナリストの福島香織氏は指摘します。
※本記事は、福島香織:著『ウイグル・香港を殺すもの - ジェノサイド国家中国』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。
「大衆」が習近平政権の最大の不安要素
習近平がクーデターや宗教以上に恐れているといっても過言ではないのが、中国ではしばしば「最大の暴力装置」と表現されることのある“人民”です。
習近平に限らず、歴代中国の支配者たちは、大衆をいかに管理・コントロールするかに腐心してきました。権力者側からすると、中国の人民は、コントロールしやすく、独裁には好都合な一面があります。神話以来の価値観に基づく独裁者待望論があるからです。
中国の人類創生神話は、女媧という女神が泥人形をつくるところから始まります。女媧は最初こそ丁寧に一体一体、泥人形(人間)をつくっていたのですが、途中から面倒くさくなって、縄を泥に浸して振り回すようになりました。
このとき、飛び散った泥のしずくからも人間が生まれました。この神話に基づき、中華世界の人間観では、丁寧につくられた優秀で徳の高い選ばれし人間(泥人形から生じた人間)と、全般的にレベルの低いどうでもいい人間(泥のしずくから生じた人間)とで、生まれながらに差があるのです。
実際、中国の指導者や官僚や知識人、すなわち“選ばれし優秀な人間”たちは「泥のしずくから生じた人間」のように、無知蒙昧な大衆をきっちりと支配して導いてあげないと、大衆が動乱を起こして社会がめちゃくちゃになってしまう、と“上から目線”で考える傾向があります。
一方で大衆側も、臆病で怠惰な傾向があるので、自分で物事を考えたり決断したりするより、リーダーシップのある強い指導者に導いてもらうほうが楽だと思っている人が少なくありません。 それゆえ、そもそも中国には「独裁者待望論」があるのです。
中国共産党支配を肯定する人たちは「この広大な中国は中国共産党でないと治めきれない」と言いますが、これも中華世界の人間観に基づく独裁者待望論による考えなのかもしれません。こういった土壌が蔣介石や毛沢東を生んだのでしょう。