2021年7月後半、中国株式市場が大暴落しました。7月22日から27日の間に香港ハンセン株価指数は9・5%、上海総合指数は5・4%下落したのです。その原因とされたのが、習近平政権による学習塾の規制。教育費の急騰が少子化の要因となっていると中国当局は睨み、小中学生を対象とした学習塾の新規開設の禁止などを発表したのです。そもそも、中国の国家主席である習近平について、これを読んでいるあなたはどれだけ知っているでしょうか。ジャーナリストの福島香織氏に、習近平の経歴と人間性を聞いてみました。

※本記事は、福島香織:著『ウイグル・香港を殺すもの - ジェノサイド国家中国』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。

「皇帝」習近平は“無能”なリーダー?

2021年現在、中国共産党中央総書記にして国家主席である習近平とは、どのような人物でしょうか。

中国のみならず日本やアジア、あるいは世界の今後を大きく左右する重要人物でありながら、中国の最高権力者であるということ以外、彼についてほとんど何も知らないという日本人が大半だと思います。どういった経歴の持ち主なのか、なぜ今の最高権力者の座に就くことができたのか、すらすらと答えられる人はおそらくあまりいないでしょう。

かくいう私も、習近平本人に直接会ったことはないのですが、実際に会ったことのある数人からその人物像を聞いたことがあります。

「自信のない、気弱なところのある人だった」
「凡庸な人間だ」
「マザコンで、シスコンだ」
「無能だ。頭が悪い」

はっきり言って、低評価のオンパレードでした。しかし、それはそれで不思議ではないでしょうか。なぜ“無能”な人間が、14億人以上も人口がいる中国で「皇帝」と呼ばれるほどの独裁的な権力の座にいるのでしょうか。

中国という国の“本質”を知り、対中政策の判断を誤らないためにも、隣国の私たち日本人は、習近平という“人間”についてもっとよく知っておく必要があると思います。

▲中国の地図 出典:PIXTA

「紅二代」習近平の“華麗”なる経歴

習近平は1953年6月15日、中国のほぼ中央に位置する陝西省で生まれました。父は中国共産党の重鎮で「建国八大元老」のひとりに数えられる習仲勲という人物です。

中国では、共産党の高級幹部の子弟子女は「太子党(プリンス党)」と呼ばれ、“親の七光り”の恩恵を受けて、“生まれながらの特権階級”のポジションにいます。その太子党のなかでも、特に習仲勲のように中国建国に貢献した革命家の子孫は「紅二代」と呼ばれ「我々の親がこの国をつくったのだ」という誇りからくる、強い特権意識をもっています。

ようするに、貴族や王族のようなものであり、まさに習近平は典型的な太子党・紅二代に属する人間なのです

▲習仲勲と息子の習近平・習遠平兄弟(1958年) 出典:ウィキメディア・コモンズ

しかし、父・習仲勲は、いわゆる文化大革命(1966~1976)のときに権力闘争で敗れて投獄され、1976年の天安門事件の際にも鄧小平に逆らって不遇な目にあっています。そのため、習近平自身も文化大革命時代には「反動学生」として迫害され、陝西省北部の貧しい村に下放(共産党幹部の子弟を地方の農村などに事実上追放すること)されるなど、子どもの頃に権力闘争の恐ろしさを、身をもって体験してきました。

習近平は16歳から約7年間、下放生活を送りました。その間、1974年に中国共産党に入党し、生産大隊の党支部書記を務めています。

1975年には父が復権したことから北京に戻り、中国を代表する名門大学である清華大学の化学工程学部に入学。1979年に卒業したあとは、国務院弁公庁および中央軍事委員会弁公庁に勤務しながら、当時国務院副総理で党中央軍事委員会幹部の耿飈(こうひょう)の秘書をかけもちで務めました。

1982年以降、習近平は地方官僚の道を歩み、河北省正定県の党委員会副書記、福建省アモイ市副市長を経て2000年に福建省長に就任。その後も、浙江省や上海市の党委書記など地方の要職を歴任しています。

その後、2007年10月、中央政治局常務委員に大抜擢されて中央政界入りを果たすと、翌年3月の全人代で国家副主席に選出され、2010年10月には中央軍事委員会の副主席に任命されました。

さらに、2012年11月に開催された中国共産党の第18期第1次中央委員会全体会議で、中央政治局常務委員に再選され、胡錦濤の後継者として総書記に就任。同時に党中央軍事委員会主席の座に就きます。

そして、2013年3月14日の全人代で国家主席、国家中央軍事委員会主席に就任して以降、自身への権力集中と独裁体制を強めながら、現在にいたるわけです。