日本人には理解しがたい熱気と狂気

ただ、そうはいっても「歓迎される独裁者」と「歓迎されない独裁者」がいます。歓迎される独裁者とは、自分たちに利益をもたらし、豊かさや明るい未来を約束してくれるような人物です。その反対に歓迎されない独裁者は、自分たちの利益を取り上げ、人々を飢えさせ、未来に不安しか感じさせず、恐怖や抑圧でしか人々を従わせられないような人物です。

では、後者のような為政者が登場すると、どうなるのでしょうか。

大衆はとても臆病なので、最初のうちは我慢して堪え忍びますが、心の底で不満を募らせていきます。彼らは自分ひとりで考えて決断・行動するのは苦手ですが、臆病なだけに“強者”の登場や、政治の風向きには敏感なのです。身を守るために政治の風向きを見ながら、自分が迫害される立場にならないよう、大勢のなかに紛れる習性があります。そして、誰が“強者”なのかという臭いをかぎ分けます。

しかし、それは時に「集団ヒステリー」のように、全員が一斉に同じ方向を向いて走り出すような“熱狂”を生みます。

▲紅衛兵に答礼する毛沢東(1966年) 出典:ウィキメディア・コモンズ

長らく圧政に堪えて心の底に不満や不安を蓄積していた人民が、政治の風向きになんらかの異変を感じたとき、あるいは新たな強者の出現を見出したとき、一斉にひとつの方向に向かって走り出すわけです。

「文化大革命」の熱狂など、日本人には到底理解できないと思いますが、中国でしばらく生活して中国社会やその気質を理解してくると「なるほど、この国では文革のようなことが今でも起こりうる土壌があるのだな」と気づくはずです。

私は1998年の反米デモや2005年の反日デモの現場を、学生たちや大衆のど真ん中で見てきました。その際、昨日まで米国に留学したいと言っていた学生が、米領事館前でシュプレヒコールを叫び、アニメや漫画が好きで日本語を話すような学生までが、反日デモに参加していたのを目の当たりにしています。

その熱気・狂気が一段落したときに、反日デモに参加した日本アニメ好きの学生に「日本が好きだと言っていたのに、なぜデモに参加したの?」と問い質すと「空気に吞まれてしまって……」と気恥ずかしそうに言い訳をしていました。

大衆を支配するのに必要な「2本の竿」とは?

どうやら中国の大衆は、鬱憤や不満がたまっているとき「こっちの方向に不満のはけ口があるぞ」と号令をかけられると、その方向性が正しいのかどうかを自分で判断するよりも先に、熱気に伝染したように暴れ出してしまうところがあるようです。

▲天安門広場で毛沢東語録を掲げる紅衛兵(1967年) 出典:ウィキメディア・コモンズ

中国の為政者は、権力闘争で政敵をやっつける際には、大衆運動や政治キャンペーンを打って、まず世論を扇動しようとします。また、メディアを使って「今、誰が強者なのか」をアピールします。文化大革命も天安門事件も、背後に権力闘争があり、権力者側による世論誘導・扇動がありました。

中国では大衆を支配するのに「2本の竿」が必要だといいます。それは「銃竿子(銃=軍事力、暴力)」と「筆竿子(ペン=メディア、宣伝)」です。この2本で大衆心理をコントロールし管理すること、これが独裁の基本なのです。

逆にいえば、この2本のどちらかでも失い、大衆心理をコントロールできなくなった途端、大衆は方向性を見失い、集団ヒステリーを起こして「乱」を起こすということになります。実際、中国の歴史で王朝の交代というのは、たいてい農民、大衆の反乱から始まりました。ですから、中国の為政者が最も神経を使うのは“大衆の管理とコントロール”なのです。

権力者側からすると、中国の人民の大半は「泥のしずくから生じた人間」のように無知蒙昧で、臆病で怠惰でコントロールしやすく、独裁には好都合な大衆です。

しかし、圧政にいじめられ、恨みや不満をため込んだ大衆は、為政者がコントロール力を失うと、たちまち「乱」を起こす危険な存在になります。これが中国で「人民は最大の暴力装置」といわれるゆえんです。