サヘル・ローズさんを救った一言

日本で活躍する外国人女性に、イラン人のサヘル・ローズさんがいる。ドラマ・映画・舞台で活躍している俳優だ。

サヘル・ローズさんの家は、イランの西部にある小さな町にあった。両親を含めて14人の大家族の末っ子だったそうだ。だが、イラン・イラク戦争によって、町は徹底的に破壊され、家族も失った。そのため、4歳で戦災孤児として児童養護施設で暮らすことになった。

▲戦争によって孤児となる子どもたちはどれくらいいるのだろうか… イメージ:PIXTA

そんな彼女の運命が変わったのは7歳のときだった。戦時中に彼女を助けてくれた女性が施設に会いにきて、養子に迎えてくれた。そしてこの義母の夫が日本に働きに行っていたことから、サヘル・ローズさんも一緒に日本へ移り住むことが決まる。

日本での暮らしは、理想とは程遠かった。義母は夫から連日のように虐待を受けたため、サヘル・ローズさんを連れて家を出て、公園で寝泊まりすることになった。お金もなく、スーパーの試食品などで空腹を満たす日々だったという。

そんななかでも、サヘル・ローズさんは公園から小学校に通っていたが、日本語がわからず信頼できる友達すらいなかった。校長先生は、彼女が困っているのを見て、こんなふうに声をかけてきた。

日本語がまだ苦手みたいだね。先生が教えてあげるから校長室へおいで

それから3カ月間、校長先生はサヘル・ローズさんを呼び、一対一のつきっきりで日本語を教えた。おかげで少しずつ日本語がしゃべれるようになり、自分に自信を持つことができるようになった。

時を前後して、義母が一生懸命に働いてくれたことで家を借りて暮らすこともできた。こうして彼女はなんとか日本の教育のレールに乗り、大学への進学を果たし、女優になった。

もしサヘル・ローズさんが、この校長先生と出会わなければ、教育システムからこぼれ落ちていったに違いない。だが、校長先生が彼女の境遇を理解し、親身になって日本語を教えたことで人生が良い方向へ転がりはじめた。

注意しなければならないのは、すべての校長先生や担任の先生が、このように外国籍の子どもに手を差し伸べられるわけではないということだ。

校長先生にしても、担任の先生にしても、日々の膨大な仕事に追われていて、受け持ちの児童に向けての授業をこなすので精一杯だ。すべての外国籍の子どもが、サヘル・ローズさんのような形でサポートをしてもらえるわけじゃない。言ってしまえば、彼女のような出会いがあるかどうかは「運」だ。

外国籍の子どもが持っている無限の未来を「運」に委ねていいはずがない。国や自治体は先生方のボランティア精神に頼るのではなく、外国人児童が教育システムから外れない体制をつくっていくべきだ。

▲国籍を問わず子どもたちには無限の未来があるはずだ イメージ:PIXTA

※本記事は、石井光太:著『格差と分断の社会地図 16歳からの〈日本のリアル〉』(日本実業出版社:刊)より一部を抜粋編集したものです。