学びにより自由な発想で自らのテーマを見つける
たとえば、これまで社会の授業では、受験のために年号や地名を丸暗記することが求められてきた。でも、これから先は、さまざまな教科を組み合わせて貧困が生まれる背景に関心を持ったり、他教科と重ねることで環境問題に目を向けたり、自分にとって重要だと考える課題を見つけることが求められている。知識はあくまで入り口でしかない。
課題が見つかれば、それを深めていくことになる。本を読み、友達と議論し、自由研究の題材として発表する。そういうことをくり返すなかで、社会の矛盾が見えてきて、これから自分が何をすべきなのかがわかる。それこそが、君たちが行なうビジネスや研究、アートのテーマなのだ。
ただ、誰もがすぐにそれを実行に移せるわけじゃない。それをするためには、豊かな教養を身につけたり、コミュニケーション力を磨いたり、専門知識を持ったりしなければならない。
学校は、活用の仕方ひとつで“そういうこと”にも役に立つ。
たとえば、国語の授業で知った古今東西の文学に自ら手を伸ばせば、世界に通用する教養が身に着くし、理論的に物事を考えて自己表現する能力が備わる。仕事をするうえで、プレゼンテーション・スピーチ・レポートなどの能力はもちろん、広くいろんな人と話ができる教養は欠かせないものだ。
理系の勉強は、何かに取り組む際の直接的な武器となる。
貧困問題にせよ、環境問題にせよ、未来の問題を解決するために科学技術はなくてはならないものだ。
全世界に食糧を行き渡らせるにはどうすればいいのか、環境汚染をなくすには何をしなければならないのか。理系の授業で学ぶことは、そうした課題解決のための具体的な手段となる。
幸い、国も学校での教育の目的を、詰め込み型の受験勉強から、いま述べたような学習へと変えつつある。「アクティブラーニング」などと呼ばれている教育の形がまさにそれだ。生徒が単に教わるだけでなく、自分で能動的に探究していく学習であり、大学入試もそれにあわせて変わりつつある。
若い世代の人たちの中には、こうした学びによってレールに乗るのを選ぶのではなく、自由な発想で自らのテーマを見つけ、新しいビジネスや新しい研究、新しいアートをつくり上げることが珍しくなくなってきている。
※本記事は、石井光太:著『格差と分断の社会地図 16歳からの〈日本のリアル〉』(日本実業出版社:刊)より一部を抜粋編集したものです。