「開催されただけでもありがたい」地元飲食店の声

地元の人たちはどう思っているのだろう。会場近くの民宿街で、飲食店を営むご主人に聞いてみると「開催されただけでもありがたいですよ。されなかったらゼロなんで」とのこと。

別の土産物店で働く人も「去年から本当に人が来なくて。夏だけじゃなく冬もです。このままだと町がダメになっちゃう」と苦しい胸のうちを話してくれた。感染が広がるなか、東京からたくさんの人がやって来ることについて、どう思っているか尋ねてみると「不安がないわけではないけど、ありがたいという気持ちのほうが大きいですよ」。その表情からは、単に商売させてもらえるありがたさ以上の、フジロックと地域との「絆」を感じることができた。

昨年から今年にかけて、苦境のあまり商売そのものをやめてしまうケースも少なくないそうで、現に私が宿泊した民宿も、客が来ないため昨年から通年営業をやめており、今年はフジロックの期間だけ限定的にオープンしていた。

こうした例をみると、フジロックフェスティバルとは、ただ「自然の中で音楽を楽しむ3日間」なのではなく、地域と一丸となって作り上げてきた「地域のまつり」であり、重要な観光資源でもあるということがわかる。よく世間からは「そんなに音楽が聴きたいなら無観客にして配信ライブにすればいいじゃないか」という意見が出るが、音楽と音楽フェスは実はイコールではない。

3日間を通して感じたのは、関わる人たちがそれぞれの思いを胸に「フェスを守ろう、続けよう」と尽力している姿だった。それは毎年フジロックに来る人たち、通称「フジロッカー」も同じで、与えられたものをただ消費するのではなく、このままでは潰えてしまいそうなフェス文化を守るため、当事者意識を持って参加していた人たちが多かったと思う。

今回のような形での開催が最善の方法だったかと言われると、今でも答えに窮してしまう部分はあるけれど「特別なフジロック」というテーマ通り、今年の開催は音楽と音楽文化を「維持」するための選択であったと理解して、自分自身では納得している。

▲2021年の開催も決定。来年こそは通常のフェスの楽しみを思い切り謳歌したい