小沼綺音、芸術の秋らしく展示をたしなむ

みなさま、こんにちは。

午後の始まりのひとときを御一緒させていただけること、光栄に思います。ここのところ、風鈴の音を聞くには寒いかなあくらいの気温の日が増えた。ぜひ服装には細心の注意をはらってお過ごしくださいませ。

さて、近況の報告をひとつ。先日素敵な展示を拝見した。有難いことにとある友人から誘いを受け、日本橋のアートアクアリウムまで行って参ったのである。このご時世だから、マスクを常時着用の上、会食などはせず、感染対策には気をつかって見学をした。2007年からの歴史を持つアートアクアリウムをご存知の方も多いかもしれない。簡単にどのような施設であるか説明しておこうと思う。

展示は工夫の凝らされた様々な水槽と、その中をゆうゆうと泳ぐ多種多様な金魚たちだ。照明やBGMなど、細部までこだわりを感じられ、美しい「和」に包まれたような空間となっていた。公式ホームページには、こんなすてきな紹介文が記載されている。

生命の宿る美術館
美しくどこか儚い金魚の舞
生身の演者が目の前で舞う躍動
五日ごとに変わる季節に自然を感じ身を委ねる
この場でしか感じることのできない
生命のダイナミズムが、
忘れかけていた日本の美意識を思い出させる

トップの画像と雅な文章。この時点で興味をそそられる。残念ながら、日本橋での展示は9月26日をもって一旦終了だが、リニューアルされて戻ってくるそうだ。また、金沢にて巡回展は開催中とのこと。情報の更新が待ち遠しい。

▲美しい素敵な空間にうっとりとする小沼綺音

ふいうちに現れた謎の自尊心

先ほど述べたが、この展示へ出かけたきっかけは、友人からのお誘いに甘えたというものであった。わたくし自身、このご時世というのを抜きにしてもかなりの出不精で、人を誘えるこじゃれた外出先など知らないも同然だ。正直アートアクアリウムなるものを紹介して頂いたとき、友人に対して「こんなところに人を誘えるとは、なんと粋なのだ」と感心した。

それと同時に、よくない自尊心がわたくしのこころに出現したのである。そいつはこうささやいていた。「コヌマだって、きっと、粋さで負けていないはず、、! そうだ、劣ってたまるか!」。もはや、何と戦っているのかわからない。しかし、そのときのよくない自尊心は、確かにこんなことを言った。

ささやかれてしまったわたくしは、何を思ったか、展示のチケットを手配してくれるという友人を遮って「綺音がとるよ!」と謎の立候補をした。と、そこで「はっ、わたくしは何を張り合っているのだろう、、、」。さすがに我に返りすぐさま「あっ、ごめん、チケット取ってくれるのね! ありがとう助かるわ〜」と返事を打ち直し、事なきを得た。

前回の連載でも触れさせていただいたが、人間のこころは脆い。それゆえ、とち狂った自尊心が簡単に支配するのだ。そして、この問題は人間が人間と関わっている限り、半永久的に人間を悩ませるらしく(人間のゲシュタルト崩壊)、#3での『舞姫』に続き、中島敦の『山月記』でも、わたくしは自尊心を学んだ。

『山月記』も、『舞姫』同様に学校教材に起用されているので、なんとなく記憶に新しい方も多いのではなかろうか。某天才が虎になっちまうアレである。あらすじはこんな感じだ。

舞台は唐という時代の中国。主人公の李徴(りちょう)は、科挙という超難関試験を突破し、見事に役人となるも、彼の高すぎるプライドが周囲との軋轢を生み、職を退くことに。その後は詩人として生計を立てようとするも上手くいかず、妻と子を養わねばならぬ李徴は、位の低い役人に再就職する。

しかし、再就職先ではかつての同僚の部下として働かねばならなかった。持ち前のプライドの高さをいかんなく発揮した彼は発狂。走り出した彼は何故か虎になってしまい、それ以来、彼の姿を見たものは無い。

ある日、人食い虎が出るという危険な山道を、李徴のかつての同僚であり友人、袁傪(えんさん)の一行が通りかかったとき、彼は叢中(そうちゅう)いわゆる草むらの中から李徴の声を聞く……。

ひとつ言わせてもらいたい。『舞姫』にしてもそうだが、ためになることはなる。しかし、教科書に掲載されているにも関わらず、この救われなさはいったいどういう事なんだ。若干のネタバレ(いや、ご存知の方も多数だろうからバレてはいないか)をすると、李徴は人間に戻ることは出来ないのだ。嗚呼、なんという悲劇!

▲過去の名作から学ぶことは多い