防衛大学校の全学生に女子学生が占める割合はわずか12%。一般の「女子大生」とはまったく違う世界に飛び込んだ彼女たちの生活や苦悩、そして喜びを、自身が「防大女子」だった松田小牧氏が体験と取材を交えて語る。テレビもクーラーもなし、冬は寒く、夏は暑い、雨が降ると雨水が侵入。信じられないかもしれないが、2010年代まで、防大の古い寮はこんなありさまだった。
窓にガムテープを貼る理由がわかった
私の住む寮は、学生隊で最も古い「旧号舎」と呼ばれる建物だった。「旧号舎」という字面だけでもいかめしいが、とにかく住環境としては全く褒められたものではない建物だった。
クーラーなんてものはなく、あるのは大きな音を出すヒーターのみ。夏は暑く、冬は寒い。ベッドには真夏でも毛布しかない。時々、暑すぎて床に伏して涼を取る者もいたくらいだ。
雨が降ると雨水が室内に浸入してくるのを防ぐため、窓の桟に新聞紙を折り曲げて挟む。強風が吹けば、窓が割れないようにガムテープをバッテン印に貼る。
「このガムテープになんの意味が?」と長らく思っていたところ、ガムテープを貼りそびれた窓はたしかに割れた。ちなみに、紙のガムテープだと剝がすのに苦労するので、布テープのほうがいい。
どんなに昔の話かと思われるかもしれないが、恐ろしいことに、これは2010年代の話である。今は全員が新号舎に移っており、さすがにこういったことはない。羨ましい限りだ。
部屋員は1〜4学年混成の4〜6人で構成されていた。防大の部屋割は時代によって変化し、同期2人部屋という時期もあったが、“同期2人では堕落がすぎる”というのですぐに廃止となり、現在の学生舎では8人部屋が基本となっている。
部屋は居室と寝室に分かれ、居室にはそれぞれの机が置かれている。テレビやゲームはおろか、不必要なものが全く見当たらない、いたって殺風景な部屋だ。
漫画は持っていてもいいが、見えない場所に隠さなければならない。高校まではかなりのテレビっ子だったので、テレビがない生活に戸惑うかと思いきや、とてもそこまで思いを致す余裕などないことを、すぐに知ることになる。
机の上の書籍は、綺麗に背の順に並んでいる。これを「身幹順(しんかんじゅん)」といい、何事もこの順序が自衛隊の基本となる。パレードなどでも「身幹順に整列!」と指示される。ただ、このパレードでの身幹順というのは、背が高い者から前に並んでいくため、女子は基本的に一番後ろに並ぶことになる。結果、女子の視界には男子の背中しか入らない。
腕立て伏せの洗礼「これが防大か…」
寝室は二段ベッドで、毛布が綺麗に整頓されている。下段のベッドを上級生が使うのだが、1学年は上級生の眠りを妨げないよう、上り下りする際には最大限の神経を使わなければならない。
なお、これが現在の新号舎になると女子フロアと呼ばれるものはなく、各階の端っこに女子部屋が置かれる形となる。基本は8人部屋で、壁に向かって、各人の机が配置されているのだが、とりわけ入校当初など人数が多い場合、1学年の机が部屋のど真ん中に設置されてしまうこともある。
新号舎は綺麗であることはもちろん、なにより暖房が設置されていることが旧号舎の人間から羨望の眼差しを向けられた。また1学年にとっては、二段ベッドではないため“上級生への気遣いとしてベッドを動かさないように心がける”ことや、消灯時間になると電気が自動で消えるため“電気を手動で消す”ことをしなくてよいのが心から羨ましい。どちらも、粗相をすれば上級生の叱責の対象となるからだ。
忙しなく動く上級生の姿、清掃や点呼の厳しさを見て、誰しもが着校したその日から「これが防衛大か……」と息を呑むことになる。
防大では着校日、上級生による「歓迎の腕立て伏せ」が行われることが多い。入校した1学年の期別の数だけ(私の場合は55期=55回)上級生が腕立て伏せをする姿を見て、
「なんだこれはと衝撃を受けた」
「やばいところに来ちゃったと思った」
「見ているぶんには面白かった」
などという声が取材のなかでちらほら聞こえた。
防大について“なんの予備知識もなく来た”という者のなかには「あまりにびっくりしてしまって、その夜は寝られなかった」という声もあった。