自身が防衛大学校に入学した女性、つまり「防大女子」だった松田小牧氏が、一般人には見えてこない防大生の日常や喜怒哀楽を語ります。体育会系のイメージがある防大ですが、そのイメージ以上のヒエラルキーが存在するそうです。

「人」扱いされない1学年

防大では各学年にそれぞれ標語がある。1学年は「模倣実践」、2学年は「切磋琢磨」、3学年は「自主自律」、4学年は「率先垂範」というものだ。振り返っても、まさにこの通りの生活を送っている。

ある者は「1年のとき、上級生の言うことがよくわからなくて、自分の頭で考えて動いたら常に怒られた。同期に相談したら『まず自分で考えるんじゃなく、言われた通りに動け。動いてみて、それでもよくわからなかったら、まずは私たちに聞け。自分の考えで動くのはそれからだ』と言われた。その通りにしたら怒られることが減った」と話す。この標語は社会でも通用するものだと思う。

また、表立って標榜されているものではないが、脈々と受け継がれているもう1つの学年別のステージを表す言葉がある。「4学年は神、3学年は人、2学年は奴隷(石ころという説も)、1学年はゴミ」というものだ。

これを教えてくれた2学年女子は、嬉々として話していたが「私らは人ですらないのか……」と愕然としたことを覚えている。

防大は、学生による「自主自律」が重んじられる。上級生が下級生を指導する形式となるため、上級生の力が極めて強い。1学年が「全く怒られない一日」というのは、最初のうちはまずない。

また、上級生にとっては指導することこそが「しなければならないこと」になる。「時間をつくる」ことが1学年の仕事で、上級生の仕事は「時間を奪う」ことにある。そのため、1学年とそれ以外では、日常で受けるプレッシャーが大きく異なる。

▲防大生の一日

防大は約2割が途中で退校していくが、その8割は1学年のうちにやめていく。なお、2学年も1学年の指導などで時間がなくなり、4学年は最上級生としていろいろ忙しいため、一番楽なのは3学年時であると言われている。

「3学年なら、もう一回やってもいい」とは時折聞かれる言葉だ。ただし「3年のときは中だるみして学校をやめたくなった」と話す者もいるので、人の心は難しい。防大に入った1学年が、まずこれまでの生活とのギャップを感じる点をまとめると、主に以下の4つだ。

【1】時間がない

とにかくやるべきことが多い。頭の中で必要な時間を計算すると、間に合わないこともよくある。結果、とにかく時間が足りない。が、やらなくてはならないのでやる。なぜかなんとかなる。時間が3分あると「まだ、だいぶ時間あるじゃないか! あれもこれもできる!」と思うようになる。訓練では「集合時間に1秒遅れるごとに腕立て1回」と設定されることもあるが、3分遅れると腕立て180回。女子には絶望的な数字だ。いつでも時間に追われる生活は心身を蝕む。

【2】自由がない

また、時間だけでなく自由もない。常にやることがあり、上級生を含めた共同生活では、1人になれるのはトイレくらい。平日は外出できず、休日だからといって外出ができるわけでもない。外出をしたところで門限もある。「トイレで誰にも見られないように、こっそり泣いた」という声すらある。

学生たちは、しばしば防大を「小原台刑務所」と自虐する。外出すると「シャバは楽しい」と言い、誰かが逃げ出すことは「脱獄」ならぬ「脱柵」と呼称する。

▲点呼の様子。前列が1学年で、後列の上級生のプレッシャーを絶えず感じる [松田氏所有写真]

【3】常にプレッシャーをかけられる

上述の通り、1学年は常に上級生に怒られ続ける。高校生までに「一生懸命やっているのに怒られる」ことを経験している者は少ない。もし、一般の会社で防大流の指導が行われれば、パワハラで一発アウト確定だ。ただ、女子10期までは暴力を振るわれることもあったというが、それ以降の期の女子では暴力を振るわれることは、ほぼなくなっただけ、時代の流れに感謝するべきかもしれない。

私が1学年のとき、4学年だった女子学生は、私の知る限り「体を壁に押し付けられた」「腕立て伏せをしているときに頭を踏まれた」などの暴力を経験した最後の世代だ。私の入校時には、すでに「暴力絶対禁止」が学生に通達されていたが、ある日、4学年の女子学生が「体に覚えさせるのが一番早いのに」とつぶやいたことは今でも忘れられない。

経験上、確かにプレッシャーは人の成長速度を早める。ただ、私自身で言えば「人に怒られること」にかなりのストレスを感じるほうなので、極めて苦しい経験となった。

【4】理不尽なことが多い

怒られるのは、これはもう致し方のないことだ。が、なかには怒られる立場からすると、なかなか納得できないものもある。「朝と夜とで上級生の言ってることが違う」「上級生によって言ってることが違う」「どうしようもない状況下で怒られる」「自分のミスではないが、正確に『誰々がやりました』と言うと『同期を売るな』としばかれる」など……「いやいや、無理やんそれ」と言いたくなることがよく起きる。

例えば、1学年に対して制服のアイロン具合などを点検する「容儀点検」だが、これを厳しく受けるのは1学年だけ。点検をする側である4学年は自分の服をプレス(アイロンをかけるという意味の防大用語)しておらず「なぜ自分が、きちんとしていない人間に評価されなければならないのか」という怒りを覚えたと振り返る者もいた。

私が実際に「理不尽な」と思った事例を紹介しよう。

ある日、私が上級生に提出する報告書の締め切りに間に合わず、罰として腕立て伏せをすることになった。それだけなら(嫌だけど)よくあることなのだが、その上級生は廊下を見渡して、たまたま目に入った私の同期を部屋に呼び込み「おい、お前の同期が腕立てをする。同期だから連帯責任だ。お前は空気椅子をしながら腕立て伏せをしている、こいつを応援しろ」と言い出した。

無論冗談ではない。私の同期であることが咎(とが)とされたかわいそうな同期は、空気椅子の姿勢で腕を突き出し、苦悶の表情を浮かべながら、腕立て伏せをする私に「がんばれー!」と声援を送り続けた。私は「なんなんだこれは……」と泣きそうになりながら腕立てをした。