父が育った特殊な環境
父親の育った家はとても複雑だったそうだ。兄弟が5人いたが、全員が腹違い、あるいは父違いで、兄弟とためらいなく呼べる関係ではなく、一人っ子同然の感覚で育ったらしい。しかも、みんな優秀でほとんどが東京六大学に進学し、俺の従兄弟たちも全員優秀だった。
比べられることが多かったようで、父の兄弟に対するライバル心は強かった。だから、俺は学校のテストで悪い点をとると、ひどく叱られた。おかげでどんどん勉強が嫌いになり、学校の成績は悪化する一方。そうなるとさらに怒られる、という悪循環だ。
小学校高学年の頃、ある晩、酔っ払った父親に殴られて「お前は親戚中の恥だ!」と罵られたこともある。親父の兄弟やその子どもたちは皆優秀なのに、自分の息子だけ(妹は優秀だった)が落ちこぼれだったのが恥ずかしかったんだと思う。
勉強ができなく殴られたことはしょっちゅうあったけど「お前は恥だ!」と言われたのはショックだった。俺がこの世にいることは、父親にとって恥ずかしいことなのかと真剣に思い悩んだ。小学校1年生のときに、過酷なイジメから救ってくれたヒーローに見捨てられたような気がして本当につらかった。
いま思い返しても、父親はいつも厳しかった。食事中は「米粒は一粒も残すな」と言われ育った。電車にお年寄りがいたら「すぐに席を譲る」ことを徹底された。「玄関の靴は揃えろ」と口すっぱく言われた。でも、それは生きていくためのしつけだとわかっていた。
「お前がカワイイ」「愛してる」なんて愛情表現をする父親ではなかったが、父親なりに俺のことを愛してくれてるのは、なんとなく伝わっていた。だからこそ、恥だと言われたことが本当にショックだった。
この夜の出来事は、その後の俺の生き方に大きな影響を与えたと思う。「父親に認められたい!」「父親を見返したい!」という屈折した思いをずっと心の中に抱えることになったからだ――。
(構成:キンマサタカ)