「生き金」を使うことで「粋」な人生を歩めるのです
そしてもうひとつ。「きれいに切る身銭」もまた「生きた」お金の使い方だと思います。
「株式会社○○で、領収書ください」――デートで恋人と食事をしたとき、支払いの場でこんなセリフを聞くと、ちょっと幻滅してしまいます。プライベートな友人へのプレゼントを買った人からこのセリフを聞いても、やはり同じように思うでしょう。
その方が自営業ならば、必要経費として領収書をもらうのは致し方ないかもしれません。
でも会社勤めのサラリーマンの場合はどうでしょう?
「デート代も会社の経費で」「プレゼントも会社持ちに」という発想は、周囲にセコい人、ケチな人、公私混同をする人という印象を与えかねません(いえ、実際にセコい行動だと思われるでしょう)。
身銭を切るという言葉には「自分の身体を痛めて(自分の懐を開いて)お金を使う」という意味合いがあるのだそうです。
好きな異性とのデートのとき、会社の経費で落とそうと考えるのは、他人の懐を利用して「相手への好意や恋心」をアピールしているようなもの。果たして、相手はその発想を「うれしい」と思うでしょうか。感激するでしょうか。
「え、こんなプライベートなことも経費として会社に請求するの?」――こう思われることは、その人の「人としての魅力」を大きく下げることになるでしょう。
その人は、その場では「自分で払わず得をした」かもしれませんが、実は、自分の価値を下げる「死に金」を使ったのと同じこと。
「好きな人に“自分が”ご馳走したい」「お祝いの気持ちで“自分が”プレゼントを贈りたい」――そう思って自分のお金で払うからこそ、食事にもプレゼントにも価値が生まれます。
それが「生き金」を使うということなのです。
私は「粋」という言葉を大切にしています。「粋」とは、節度と礼節をわきまえ、周囲への気配りを忘れず、自分の仕事に誇りを持ち、自分の人生を楽しむ――そんな立ち居振る舞いのこと。これはお金の使い方にも言えると思うのです。
人生の価値を高めるためにお金を使えること、きれいに潔く身銭を切れることもまた「粋」な振る舞いのひとつ。ですから「生き金」は「粋金(いきがね)」でもあるんですね。
普段から「生き金=活き金=粋金」を使えていますか?
切るべきときに、潔く身銭を切っていますか?
自分の懐で付き合うべきときには、よそさまの懐を頼らず、当てにせずに気持ちよく身銭を切る。ときには仕事かプライベートか、見方によってはどちらともとれる状況もあるでしょう。そんなときには、あえて身銭を切るほうを選ぶ。
また、たとえ仕事や公用であっても、たとえ会社に請求できるようなケースであっても「ここは自分で払うべき」と思ったら潔く、気持ちよく身銭を切る。
それをさらりとできる人が、生き金の使い方や使いどきを知る“粋な人”だと思うのです。
お金の使い方には、その人の本質が如実に表れます。自らを成長させるために、自らの大切な人やモノのために、ここぞというとき、きれいに身銭を切れる人は、充実した人生を歩める人だと思います。