一対一の関係でないと許されない衆道のオキテ

信長が男色したことが間違いないと言えるのが、加賀百万石の藩祖、前田利家です。『亜相公御夜話(あそうこうおんやわ)』によると、利家は、鶴のお吸い物が出されると、すぐに腹痛を起こしたそうです。

▲前田利家 出典:ウィキメディア・コモンズ

信長が築城した安土城(滋賀県)で、あるとき、信長自身が家臣に振る舞い、言葉を掛けます。そして利家の番になったのですが、

「信長公御傍に寝臥(しんが)なされ、御秘蔵にて候」[武光誠監修『日本男色物語』]

つまり、信長は「コイツは、昔はオレと一緒に寝て秘蔵っ子だった!」と言って褒め称えているわけです。

これを聞いた家臣たちは「利家殿にあやかりたい!」と褒め、次々と鶴のお吸い物を利家に勧めたので、すっかり飲み過ぎた利家は、それ以来、鶴のお吸い物が苦手になった。という話です。

これを見ても、殿様との男色関係を結ぶことは恥どころか、むしろ名誉だったということがわかるのですが、利家は15歳のときに信長の小姓を務めています。しかし、1559年に信長の茶坊主を斬ったことで出奔、牢人生活を余儀なくされます。牢人のままで翌年の桶狭間に参戦し活躍しますが許されず、翌年にさらに活躍したことで、信長から帰参を許されました。

要するに利家は、織田家から出奔し、牢人の立場になりながらも、信長のために働いていたわけです。では、それはなぜでしょうか?

この時代の男色を表すとき「衆道(しゅどう)」という用語が用いられます。

衆道とはなんでしょうか? この用語自体は江戸時代のものですが、これまでも「念者」と「若衆」という言葉は出てきていました。これは念者が「目上や年長者の攻める側のこと」で、ゲイ用語(男性同性愛者の間で流通する用語)で言う「タチ」のことです。それに対して若衆は「目下や年少者の攻められる側のこと」ですから、ゲイ用語で言うところの「ウケ、ネコ」のことになります。

そして、この念者と若衆が一度契りを結ぶと、強固な結び付きが生まれます。これが、男色(衆道)関係を結ぶと「命懸けで殿様を守る!」という論理となるわけで、足利義教の暗殺に際して命懸けで戦う人たちが出てくるのも、そういうことです。

▲武田信玄 出典:ウィキメディア・コモンズ

これは有名ですのでご存じの方も多いと思いますが、甲斐(山梨県)の戦国大名武田信玄が春日源助(高坂弾正と言われています)に送った恥ずかしい手紙が、東京大学史料編纂所に残されています。

一、弥七郎ニ頻々度々申候へ共、虫気之由候間、無了簡候。全我偽ニなく候事
一、弥七郎とき〔伽〕ニね〔寝〕させ申候事無之候、此前ニも無其儀候、況昼夜共弥七郎と彼儀なく候、就なかんずく中今夜不寄存候之事
一、別而ちいん〔知音〕申度まゝ、色々走廻候へハ、還而御うたかい迷惑ニ候

これを訳せば「弥七郎には、たびたび言い寄ったんだけども、体調悪いからと断られたんで、何もしてないんだよ、嘘なんかついてません! だから、弥七郎とヤったことなんてないんだ! この前も、昼も夜も、当然今夜も! 疑いを晴らしたいんだけど、こっちもいろいろ忙しくて釈明できずに余計に疑わせてしまったようで、なんとも迷惑な話です」というような意味になります。ちなみに「知音」とは恋人のことを指します。

要するに、殿様の信玄が家臣の源助に、浮気をしていない証明のために、あの手この手を使ってでも誤解を解こうと言い訳をしているのです。

信玄の手紙には、このあとに「もし噓だったら神仏の罰を受けます!」と続きますが、男の「神仏に誓って!」という言葉ほど、信用ならないものですけども、経験上……。それはいいとして、ではなぜこのような言い訳じみたことを殿様がしないといけないのか? と言えば、これまでの男色は複数の男と関係を持っても問題がなかったのが、衆道となると「一対一の関係でないと許されない」となるからです。

ですから、信玄が源助に言い訳をしているのを、“殿様と家臣”と捉えるとわからなくなるのですが、“念者と若衆”と捉えれば当然のこととなりますし、だからこそ「若衆は念者のために命を懸けてでも戦う!」となるのです。

そして、だからこそ利家は、念者の信長のために、どんな立場になろうとも戦ったと言えるでしょう。

信長が足利義教の奉公衆と同様に、信長親衛隊として組織したのが「馬廻衆(うままわりしゅう)」です。さらに、信長は母衣(ほろ)と呼ばれる背中に付ける武具を目立つように付けたことから「母衣衆」と呼ばれる組織を作り、母衣の色を黒と赤に分けて、それぞれ黒母衣衆、赤母衣衆と名付けます。

そして、利家は赤母衣衆に選ばれています。ですから、再度言いますが、利家は愛する信長のために命を捨ててでも戦ったとなるのです。 

▲前田利家像 出典:PIXTA

※本記事は、山口志穂:著『オカマの日本史』(ビジネス社:刊)より一部を抜粋編集したものです。