子どもを持つと出世に響く?

出世に関しても、子どもを持つと厳しい状況に置かれることになる。陸自では、出世するためには指揮幕僚課程と呼ばれる課程を受験し、合格することが一般的なコースとなっている。

全4回の受験機会があるが、ある者は「1回目で合格することが重要。受験期を育休期間に被らせたくない。それまでに、つまり20代のうちに子どもができなければ、子どもを産むことを諦めようと思っている」と話す。

それとは反対に、海自のある者は「出世のためには、船でいくつかの配置を経験する必要がある。でも、それを全部経験すると30歳を超える。30歳を過ぎるまで子どもを産むなということなんだろうか」と不安を漏らす。

また、女性幹部から「出世がしたいなら、子どもは2佐になってから(最短で36歳)生んだほうがよい」と言われた者までいる。

出産後、すぐに現場復帰する者もいる。大学院在学中に出産し、産後1カ月で復帰した者は「母乳が止まらなくて大学のトイレの壁を母乳で汚した」と振り返る。

また、ある者も「別居婚だったので、出産後に旦那の部隊がある地域に行かせてもらうためには、3カ月で復帰するしかなかった。保育園は認可外に預けるしか選択肢はなく、更衣室で搾乳した母乳を冷凍して子どもにあげていた」という。

▲育児休暇は一般的になっているが… イメージ:PIXTA

念のため補足しておくと、近年では大抵の女性自衛官は1年程度の育休を取る。2人、3人と子どもを持つ女性幹部も割合としては少なくない。

四十期代前半の女子は「育休制度もだいぶ使える雰囲気にはなってきている。いろんな制度も拡充されていて、普通に昇任もできているから、その点は歴史を重ねてきただけのことはある」と評価する。

制度的に1年以上取ることももちろん可能だが、周囲を見渡すと「初級幹部のうちに、そんなに現場を離れてどうするの」という感覚は少なからずある。

ただでさえ、子育てと仕事の両立は難しいうえに、理解のない上司も少なからずいるという。

復帰するときに、上司から「子どもは誰かに預けられないのか」と言われた。「母乳をあげられるのは私しかいない。子どもを預けて誰かに見てもらい、私が働くっていう選択肢は私の中にない」とケンカになって噂が広まり、同期からも「お前は何を言ったんだ」と言われたと話す者もいた。

やはり、上の期ほど「当時は、仕事に子どもを絡めるのは許されないことだった。しかも、幹部だから余計に許されなかった」と振り返るが、取材する限りでは現在でも決してなくなってはいない。

取材をしていると「その部隊で出産して育休を取った女性幹部は私が初めてだった」というケースもいくつかあった。そのため「男性も勝手がわからなかったんだろう。結果としてはいろいろ調整してくれた」と擁護する声もあった。また、同じ女性なら気持ちがわかるかといえば、必ずしもそうとは言えないようだ。

「子どもがいるので入校することを延期できないか悩んでいると、女性の先輩から“甘え”だとか『子どもも連れていけば』と言われた。転勤ではないので住民票も移せず、保育園にも入れないのに」

「私より上の期は、みんな出産後もすぐ復職したり、部隊に迷惑がかからないように自分のライフプランを削ってやっていた人たちが多かったから、私の苦しみを理解はしつつも、寄り添ってはもらえないことがあった」

仕事の時間に制約が生まれることによって、組織から適正な評価を受けられていないと感じる者もいた。

「自衛官は生産性の評価が難しい、というより、していない。こなせる業務を超えて仕事がアサインされた結果、残業してでもこなす人が評価されるので、家庭の時間を確保しないといけない人が、昼休みを削って必死に仕事をしても、アウトプットの評価ではかなわなくなってしまうことが多い」

「入校中に『土日の訓練や授業に参加できないなら休んでもいい』とは言われたが、ただし『評価できないから、その訓練は0点になるけど』と言われた」

優秀な人ほど、この壁にぶつかったときに心苦しく、出世を諦めたり、外の世界に目を向ける要因になる。「もともとは出世がしたかった。上でしか見られない光景があると思ってた。でも、もう出世したいとも思わなくなった」と、熱量が下がった同期を私も目の当たりにしている。

自衛隊では、しょっちゅう講話があって偉い人の話を聞く機会がある。そのなかで「自衛隊は尊い仕事。君たちはすぐに動けるのか。動けるのが幹部だ」と言われた者はこう述べる。「今、私は子どもがいてすぐには動けない。不適合者だと突き付けられたに等しい」

※本記事は、松田小牧:著『防大女子 -究極の男性組織に飛び込んだ女性たち-』(ワニ・プラス:刊)より一部を抜粋編集したものです。