“バイキン”という概念がミャンマー人にはない?
しかし、外出禁止の“要請”を守っていたのは最初の1ヶ月まででした。やはり、人間の我慢には限界がありますから、ポツポツと外出する人が多くなってきました。
それでも、やはりコロナは怖い病気だという認識までは消えていなかったので、みんなマスクを着用していました。マスクが爆発的に売れて、一時は通常の10倍くらいの値がついたこともありました。
ただし、どうしてマスクをすればコロナの感染を防げるのか、ということを知っていたミャンマー人は少なかったと思います。なぜなら、ミャンマー人には“バイキン”という概念を持っている人が圧倒的に少ないからなのでしょう。
日本なら、親であったり幼稚園や学校の先生から「手には目には見えない菌がついてるから、外から帰ってきたら手を洗おう」と習いますよね。ですが、ミャンマーでは手を洗うという習慣がありません。見た目がキレイなら大丈夫、という感覚なのです。
ミャンマーには公立の小学校や中学校はあるけれど、金銭的な問題で通うことができない子どもが多いので、学校で教わる人が少ない、という事情もあるのでしょうか。
ただ、学校に通えなくても識字率は意外に高く、ビルマ語の読み書きをできる人は多くいます。その理由は、お寺で勉強を教えてくれる“寺子屋”みたいなものが各地にあり、そこで字の読み書きは習えるからです。
とは言っても、トイレのあとだけは石鹸を使って手を洗います。それには、ミャンマーのトイレ事情が関係しているようです。ホテルは例外で、一般のトイレにトイレットペーパーは置いておらず、用を足したあとは水道につながっているホースから水を出し、お尻を洗います。その際、手も使ってお尻を洗うこともあるため、必ず手は洗うようです(すべてのミャンマー人が手を使って洗うようではないと思います)。
また、お風呂に入らないのはもちろん、シャワーすら一般市民はしません。雨水を水瓶のようなところに溜めて、そこから桶で水をすくってザバーっと頭から浴びるくらいです。さらには、水浴びをしながら洗濯物を洗う、といったようなこともするということも聞いたことがありますから、衛生観念は推して知るべしといったところでしょうか。
もちろん、都市部で生活している人たちには衛生観念の高い人もいます。シャワー完備のアパートに住んでいたり、洗濯機を持っていたりもします。
ただし、ミャンマーの水道は日本のように整備されていませんから、蛇口から出る水は当然飲むことはできません。一方で、飲食店の食器や野菜などは、その水で洗われています。なので、私たち外国人が行くようなレストランでも、食器やスプーン・フォークなどを、まずティッシュで拭いてから食事をする、というミャンマー人もいます。
外国で長く生活してからミャンマーに帰ってきた人が「座席が汚くてバスに乗れない」「お金が手垢まみれで触れない」と言っていたのを聞いたこともあります。
子どもの頃からそのような衛生環境下にいるので、ミャンマー人は私たちよりも胃腸は強いようです。それでも、しょっちゅう食あたりで苦しんでいるのを見ますが(苦笑)。
手を洗う習慣がなかったミャンマーでも、外国のコロナ感染対策を見習って、飲食店の入り口には手洗いするシンクがつけられ、手を洗ってからでないと入店できないようになっていました。それも、1ヶ月ほどでいい加減になり、いつしか手洗いシンクが撤去されました。
敬虔な仏教徒ゆえに“死”への絶望感は低い
ミャンマーの人たちは、感染することには恐れていましたが、感染してしまったあとにやってくる“死”に対しては、そこまで恐れを感じていなかったのではないでしょうか。というのも、ほとんどのミャンマー人が仏教徒で「輪廻転生」を信じているからです。
“身体はただの入れ物。次に生まれ変わる”
だから、死を意識した人は、現世に対して早々に諦めの境地に達するのです。また、身近な人が亡くなるということに関しても、日本人のようにいつまでも引きずるようなことはしないように感じました。
うちの会社で働く男の子が、母親をガンで亡くしたのですが、3日くらいで普通に会社に復帰してきました。20歳くらいの子だったのですが、落ち込んだ様子もなく、普通に振る舞っていました。
これが日本人だったら、1週間どころか1ヶ月くらい塞ぎ込んでもおかしくないと思うのですが。その時に、仏教の教えが身について達観してるんだな、と思いました。
お葬式を見ても、輪廻転生の教えが深く入り込んでいることがわかります。ミャンマーは火葬文化になるのですが、遺体が焼却炉に入ると、参列者は帰宅してしまうのです。
日本だと、焼いたあとにお骨を拾って、それを骨壷に入れて持ち帰りますが、ミャンマーではひとまとめにして捨ててしまっているようなのです。輪廻転生の教えにある“身体は入れ物”というのを、信じ抜いているわけです。