1万人以上のポーランド人将校が銃殺された

世界的に著名なポーランドの映画監督アンジェイ・ワイダが製作した『カティンの森』(2007年公開)という作品があります。自分の父親がカティンの森でソ連兵によって殺された史実を基にした映画です。

私は、この映画を駐日ポーランド大使館での試写会で見ました。

岩波書店の国語辞典『広辞苑』には、《「カティン事件」→「第二次大戦中の1940年にソ連が捕虜としたポーランド軍将校をロシアのスモレンスク州カティンの森で大量殺害した事件。ソ連政府は90年公式に責任を認め謝罪。」》と記されていますが、こんな数行程度の記述では、事件の悲惨さと重大さは伝わらないでしょう。

▲カティンの森に建設された慰霊碑と、犠牲者の名前が記された銘板を使った歩道 出典:Бандурист(ウィキメディア・コモンズ)

ワルシャワ中心部の王宮広場の一角には、カティンの森の犠牲者慰霊碑が建立されています。ポーランドにとって実に大きな事件だったことがわかります。 

カティンの森で殺されたポーランド将校たちは、ソ連軍に正式に降伏し、収容所に入れられていた人たちでした。ゲリラ的な戦闘行為といった国際法違反は犯しておらず、戦時国際法によって身体の安全などは保護されるべきでした。戦時国際法では、捕虜の虐待や殺害は禁止されているのです。

ソ連からすれば、ポーランドは他の中欧諸国と異なって平坦地が多く、小麦などがたくさん収穫できるという戦略的な観点からも、どうしても支配下に置きたい地域でした。もともとポーランドの多くの地が、帝政ロシアの支配下にあったという歴史的経緯もあります。

ソ連のそうした思惑にとって邪魔なのは、いわゆる民族主義的な勢力を構成するポーランド人たちでした。カティンの森で殺害された高級将校たちは、そうした勢力を代表する人たちだったのです。

事件当時、ソ連内収容所には1万数千人のポーランド人将校が、戦争捕虜として抑留されていました。ソ連は、捕虜にした彼ら1万数千人を森の中に連れ込み、1人1人銃殺しました。許しがたい戦争犯罪です。

このカティンの森事件については、ソ連がその事実を認めるのは冷戦終結後の1990年、事件後半世紀を経てからのことでした。

▲赤軍に捕虜にされたポーランド軍将兵 出典:ウィキメディア・コモンズ

※本記事は、江崎道朗:著『日本人が知らない近現代史の虚妄』(SBクリエイティブ:刊)より一部を抜粋編集したものです。