公文書取り扱いの専門的訓練を受けたミトロヒンによって、崩壊したソ連から持ち出されたKGB文書は、二十世紀の最重要史料とされています。その「ミトロヒン文書」とは、どのようなものなのかを評論家・江崎道朗氏の調査担当を務める山内智恵子氏が紹介する。
※本記事は、江崎道朗:監修/山内智恵子:著『ミトロヒン文書 KGB(ソ連)・工作の近現代史』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。
ヨーロッパ全土をほぼ網羅しているKGB文書
ミトロヒン文書が重要である理由として、網羅している時代的・地理的範囲が、他の文書と比べて圧倒的に広いことです。
ヴェノナ文書〔アメリカ陸軍情報部が傍受・解読したソ連の暗号通信〕とヴァシリエフ・ノート〔元KGB将校アレクサンドル・ヴァシリエフが、KGB文書を閲覧して作成したメモ〕は、いずれも、第二次世界大戦前後の時期のアメリカでの工作が中心です。
マスク文書とイスコット文書〔イギリスの政府暗号学校が傍受・解読したソ連の暗号通信〕は、コミンテルン本部とヨーロッパの支部や、現地の共産党との通信が主体で、マスク文書は戦間期、イスコット文書は第二次世界大戦中の2年間が対象です。
一方、ミトロヒン文書は、時代としては1918年から1980年代初期まで、地理的には英米ヨーロッパはもとより、中東・アフリカ・アジア・ラテンアメリカを含む世界全域に及んでいます。
なぜなら、ミトロヒン文書の元になったKGB文書が、世界の隅々を網羅しているからです。
たとえば、ヨーロッパでKGB文書に出てこない国は、アンドラ〔アフリカのアンゴラではなく、ピレネー山中の小公国〕とモナコとリヒテンシュタインだけだそうです。
ミトロヒン文書が明るみにした「非合法諜報員」
次に重要とされる理由が、ミトロヒン文書には「非合法諜報員」という、KGBの中でも特に高度の機密に属する人々と、彼らの活動に関する情報が豊富にあることです。
ソ連が諜報員を他国に送り込むには、大きく分けて二つの方法があります。
ひとつは、在外公館のスタッフとして派遣する方法です。KGBや軍情報部の諜報員を、書記官などの肩書でソ連大使館に赴任させ、実際にはKGBや軍情報部としての任務に従事させます。こうした人たちを「合法駐在員」と呼びます。
KGBや軍情報部の諜報員としての活動は当然、違法行為が色々あるわけなので「合法駐在員」とは、行動が合法的という意味ではありません。合法的な肩書で入国しているという意味です。
もうひとつは、国籍や身分を偽装した諜報員を潜入させる方法です。彼らは、表向きには現地のソ連大使館と接触せず、秘密裡に駐在所を運営して工作活動を指揮します。
このように身分を隠して工作活動を行う諜報員を「非合法諜報員」と呼びます。非合法諜報員は、潜入の時点で身分詐称・身分証偽造・不法入国です。工作内容も、特殊工作ともなれば文字どおり何でもありです。非合法諜報員の「本当の身元」や、工作活動の内容は、最高度の機密として厳重に隠されてきました。
ソ連は革命直後の非常に早い時期から、多数の非合法諜報員を他国に潜入させてきました。予算や人員の面でも、非合法駐在所の方が大使館よりも多く割り当てられていました。ですから、ソ連の情報工作を理解するためには、非合法駐在所や駐在員の活動を知る必要があるのです。
さらに重要とされるのは、ミトロヒン文書には、これまでに挙げた他の文書と違い、日本について、かなりまとまった記述があることです。
ソ連は戦前、日本をアジア大陸の最大のライバルとして警戒し、情報収集や工作の対象国として重要視していました。また、戦後は日米同盟にくさびを打ち込むため、科学技術情報を手に入れるために、いろいろな対日工作を行っています。
ミトロヒン文書については、イギリスの情報史学研究家の大家であるクリストファー・アンドルーとミトロヒンとの共著で、二巻に分かれたミトロヒン文書解説本が、それぞれ1999年と2005年に刊行されました。
オリジナルのミトロヒン文書ではなく解説書ですが、情報史学の大御所アンドルー教授に、イギリス政府が書かせた本ですから、イギリスがソ連の対外工作をどう見ているかということも、ミトロヒン文書の内容と併せて読み解けるのが興味深いところです。