長引く留置所生活の日々で、少しずつ病んでいく心。恥も外聞もかなぐり捨てて精神安定剤を求めるほど、福田健悟は限界まで追い詰められていた。警察官の立会いのもと行われた現場検証を経て、ついに下された家庭裁判所の判決とは? 経験者にしか書けない檻の中のリアルな現実が衝撃的に明かされる!

精神の限界から警察車両に乗って病院へ向かう

冷静に考えれば、隣の房のヤクザと揉め事が起こる可能性は低い。警察側もトラブルの種になるようなことは避けるはずだ。万が一、そんなことがあったら問題になってしまう。つまり今回の騒動は、世界一安全なご近所トラブルだ。看守の存在には助かっていた。

もし外の世界で同じことがあったら、そう考えると身震いがする。留置所に入っていて良かった。と、ワケのわからない思考回路に陥っていた。そもそも留置所に入っていなければ、ヤクザの唸り声に悩まされることもない。

4日目。ついに限界がきた。この日は面会も取り調べもなかった。何もやることがない。最後に風呂に入ったのは4日前。臭い。痒い。こんな所に1ヶ月も2ヶ月もいなければならないのか。いや1年か? 2年か? 期間は聞かされていない。

薬だ。薬が欲しい。看守に言おう。そう思ったが、同居人はギャングイーグルの後輩と知り合い。そんな奴の前で「精神的に不安定だから薬をください」なんて恥ずかしくて言えない。いや無理だ。呼吸が荒くなってきた。気づいたら僕は立ち上がって、看守に声をかけていた。

「すいません。薬が欲しいんですけど」

「あぁ? なんの薬だよ」

「精神安定剤です」

「ちょっとくらい我慢できるだろ」

「いや、病院に通ってて。薬が家にあるんです。だいぶ我慢してたんですけど、限界がきて。すいません。お願いします」

「……ちょっと待ってろ」

聞こえていたとは思うが、同居人のほうは見ないようにして、この場をやり過ごした。看守がどこかに行って、約30秒経過。まだか。早く。1秒でも早く来てくれないと発狂しそうだ。数分後。看守が戻ってきた。

「診察券はあるのか?」

「はい。家にあります」

「じゃあ、今から診察券を届けてもらう。薬だけを渡すことはできないそうだ。だから、薬がもらえるのは診察をしてからだ」

助かった。ここに来てから、4日間ずっと考えていた。このまま安定剤なしでやっていけるかどうか。母が面会に来たのは2日目。明日の面会で薬の詳細を話そうとしていたが、診察券を届けに来てくれた母に会うことはできなかった。

診察券を片手に、警察車両に乗って病院へ向かった。医者も、犯罪者を診断することになるとは想像もしていなかったと思う。診察後に処方してもらった薬を飲んだ。これで一安心。

だが結局は、今から留置所に戻らなければならない。急に部屋を出て行ったことを、なんて説明しようかと頭をひねったが、房に同居人はいなかった。このあとにベランダ風の空間に行ったとき、見張りの警官が教えてくれた。

「19番には今日のことは知られたくないんで、黙っててもらえません?」

「あぁ、そういうことなら安心しろ。アイツは今日でここを出て行ったから」

今日のことを話さずに済んだ安心感と、若干の寂しさを感じた。今日からはずっと1人だ。この日から、看守は食後に水と薬を持ってきてくれるようになった。

無口な父親との短い会話で涙が止まらない福田

5日目。父親が面会に来た。父は無口で、怒ると平手打ちをする昭和の親。恐る恐る面会室に入った。面会時間は3分。警官がストップウォッチのスイッチを押してから、1分経っても、2分経っても父は何も話さなかった。何を思っているのか。残り30秒。その時、父は話し始めた。

「飯は食えるか?」

「……うん」

「寝れるか?」

「……うん」

「そうか」

会話はこれだけだった。帰り際の父の顔は、今まで見たことがないくらい悲しい表情だった。何かを考えていたわけではない。何かを考えた結果ではないが、房に戻ったあとで1人になった僕は、嗚咽と共に泣き崩れた。周りの警官や、隣の房のヤクザは気にならなかった。

かすかに外の世界がわかる小窓から、雪が降っているのがわかった。怒られると思っていた。幻滅されると思っていた。あんなに悲しい表情をする人だとは思っていなかった。たった二言だけ話した言葉が、僕を気にかけてくれる言葉だった。不甲斐なさと罪悪感で涙が止まらなかった。

6日目。また取り調べのために呼び出された。もう反発する気力はない。全てを正直に話した。覚えていないことは適当に答えるしかない。覚えていないでは済まされないのだから仕方がない。明確な答えが出るまで取調官は待ち続ける。

「お前が相手を呼び出したのか?」

「はい」

「現場には1人で行ったのか?」

「……はい」

「嘘つくな。3人いたんだろ? もう諦めろよ。高崎と三浦も認めたぞ? 現場には1人で行ったのか?」

「……3人です」

7日目。ここに来て初めての入浴時間。少し気分は落ち込み気味だったが、久しぶりの入浴に胸は躍っていた。頭と体を洗って最高に気持ちの良い感覚は最後に――まるでディナーを即座に腹に流し込んで、デザートをゆっくり食べるかのように浴槽に浸かった。

「時間だ」

あまりにも短い入浴時間だったが満足だった。温かいお湯に1週間ぶりに肩まで浸かる幸せは、桁違いな快感だった。

8日目。取り調べと病院以外で初めて外に出された。行き先は、捕まって最初に行った警察署。竹刀や防具がある稽古場のような場所に通された。警官と思われる20人くらいが、私服で集まっている。その中には、取り調べのときに凄まじい迫力で尋問をしてきたパンチパーマで髭面の大男もいた。

今から何が行なわれるのか。警官たちの胸元には、名前の書かれたプレートがぶら下がっている。ここで僕に求められたのは、現場検証だった。抗争が起きた駅を想定して行われる。車はどこに止めたか。そのときに相手はどこにいたか。仲間たちはどこにいたか。

「僕はここにいて、相手を殴りました。その後で振り返ったら高崎が……」

そう言って、高崎の名前が書かれたプレートを付けている警官を見ると、髭面の大男だった。

「……えぇと、高崎はこんなにイカつくないけど」

どっと笑いが起きた。罪を認めた後だったからか、現場検証は比較的に和やかな雰囲気で進んだ。この事件の主要人物は、僕と高崎と三浦と相手チームのリーダー。

このあと、3人の警官と実際に抗争があった駅に向かって、再び現場検証が行なわれた。もちろん僕は自分の役。ほかの3人の役は警官が担った。1時間くらいの検証を済ませて、昼ご飯の時間には留置所に戻った。