リング上で自らマスクを脱いで素顔になった三沢

▲ついにタイガーマスクに別れを告げる日が来た(写真は90年2月10日)

天龍退団後、全日本の初めての大会となったのは5月14日の東京体育館。全面改築された東京体育館のプロレス初興行だったが、会場はなんとも重苦しい空気に包まれた。試合は盛り上がらず「馬場さん、なんとかしてくれ!」の野次も飛んだ。

そんななかで希望の光になったのが、セミファイナル前に行われた三沢タイガーマスク&川田利明vs谷津嘉章&サムソン冬木のタッグマッチである。足工大附属レスリング部の先輩後輩の三沢タイガーと川田が揃い踏みして、その当時に指導を受けた先輩・谷津と対戦するというシチュエーションは、これが初めてだった。

この試合のハイライトは、10分過ぎに川田にマスクの紐をほどかせた三沢タイガーが、自らマスクを脱ぎ捨てるシーンだが、その前後が実に興味深い。試合はオーソドックスに始まったのだが、7分過ぎに突如として谷津がラフファイトに走り、三沢タイガーのマスクを掴みながらヘッドバットを何度も乱打。ストンピングで踏みにじって「立ってこい、オラッ!」と怒声を上げた。

代わった冬木も、マスクを掴んでの投げを連発し、マスク剥ぎへ。さらに代わった谷津は、またもマスクを掴みながらヘッドバットの乱れ打ちだ。

やられっ放しだった三沢タイガーだが、思わずリングに躍り込んだ川田に気を取られた谷津の背後からフライング・ニールキックを炸裂させると、さらに川田とのダブル・バックドロップで叩きつけて形勢逆転。すると三沢タイガーは、川田に「取れ!」とマスクの紐をほどくことを指示したのである。

場内が騒然とするなか、自らマスクを脱いで投げ捨て、素顔になった三沢は、場外にエスケープした谷津を追撃してリングに戻し、スピンキックの連発、コーナーマットに頭を打ちつけて荒々しく報復。川田もパワーボムで谷津を叩きつけた。集中砲火を浴びた谷津は左脇腹を押さえて戦闘不能に。そして最後は、三沢が冬木を後方回転エビ固めから、さらにジャーマン・スープレックスで叩きつけて18分35秒に勝利した。

谷津は3月24日の後楽園ホールで、スティーブ・ウイリアムスのデンジャラス・バックドロップで頸椎を負傷し、さらにオクラホマ・スタンピードで左肋骨を骨折して欠場を余儀なくされ、この日が復帰戦だったが、足工大附属レスリング部の後輩2人は、その先輩をボコボコにしてしまったのである。不自然なほどの突然の、谷津の三沢タイガーへの荒々しいファイト、マスクを脱いだあとの三沢と川田の谷津への厳しい攻撃。その裏には何があったのか? 谷津はこう打ち明ける。

「天龍さんが辞めてSWSに行っちゃったでしょ。で、その後の全日本の構想は、鶴田さんと俺の五輪コンビで外国人選手と戦っていくっていうものだったの。たぶん馬場さんは、“谷津では天龍の代わりにはならない”と思ったのかもしれないね。だから、しばらくは五輪コンビvs外国人でやったうえで、鶴田vs谷津をやればいいと思ったんじゃないかな。

そうすると、三沢はいつもナンバー3なんだよね。“俺という目の上のタンコブがいたら三沢も川田も大変だな”って。偽善者ぶってるわけじゃなくて、あれだけ素質があるのに、俺がいることで伸びなかったらかわいそうだなと思ってたんですよ。そうしたら東京体育館で、サムソン冬木と組んで三沢&川田とのタッグマッチが組まれて。

後輩2人のコンビとやるのは初めてで、“ここしかない!”と思って、馬場さんのところに行って『代表、もう天龍さんもいないんだし、三沢もそろそろマスク取ってもいいんじゃないですか?』って言ったの。『おう、それもそうだな。ウーン………カブキと相談してみるよ』って。当時、カブキさんはブッカーやってたけど、もうSWSに行くことがわかっていたから“馬場さん、かわいそうだな。知らないんだな”って、俺は思ったけどね」

▲別角度から見ても迷いなく虎の仮面を投げ捨てる様子が伝わってくる