「さりげなく命がけという生きざま」をリングで見せてくれた三沢光晴。昨年、そんな彼のノンフィクション大作を上梓した元『週刊ゴング』編集長の小佐野景浩氏が、幼少期、アマレス時代、2代目タイガーマスク、超世代軍、三冠王者、四天王プロレスを回顧しつつ、三沢の強靭な心をさまざま証言から紐解く。2代目タイガーマスクとして苦悩する三沢を覚醒させたのは、天龍源一郎だった。天龍本人の証言をもとに三沢のレスラーとしての矜持を解き明かす。
三沢タイガーのターニング・ポイントとなった天龍戦
タイガーマスクとして華々しく再デビューし、小林邦昭との世界ジュニア・ヘビー級王座を巡る死闘を経て、満を持してヘビー級に転向するも、試行錯誤を続けていた三沢光晴に、ひと筋の光明が差したのは1987年6月1日の石川県産業展示館。不本意な試合が続いていた三沢の希望が通って『猛虎七番勝負』第5戦として、天龍源一郎戦が組まれたのだ。
「今までにないプレッシャーがあるけど、遠慮しないよ。遠慮したら天龍さんに失礼だから。これまでの不本意な戦いを吹っ切りたい。開き直るしかないよね」(三沢)
試合はリストの取り合いから静かに始まったが、三沢タイガーのアームロックを強引に解いた天龍が、延髄斬りを放ってから大きく動いた。天龍はさらにショルダーバスターから三沢タイガーをコーナーに振る。するとセカンドロープに飛び乗ってリバース・ボディアタックで反撃に転じた三沢タイガーは、天龍の胸を思い切り蹴り上げた。
さらに、天龍のチョップに対してチョップを返し、バックドロップ、DDTで叩きつけられても、バックフリップで応戦。このあとも珍しく腕ひしぎ十字固めを仕掛けていく。タイガーマスクというキャラクターに構うことなく、がむしゃらに戦ったのだ。
こうした三沢タイガーのファイトぶりに、放送席にいたゲスト解説の馬場は「タイガーマスクに望むのはね、こういう天龍みたいに体力ある、力ある人に接近していって、五分と五分で戦えるようになってほしいですね。飛び技は外されたらダメージが大きいですからね」とコメント。
それまで三沢タイガーには厳しいコメントが多かった馬場が、この試合に乗っているのがテレビを見ていたファンにも伝わったと思う。
この試合のハイライトは直後にやってくる。スピンキック、ドロップキックで天龍を場外に吹っ飛ばすと、コーナーポストに飛び乗り、場外の天龍に向かってダイブ! その勢いで天龍は、フェンスの外の本部席に叩きつけられ、勢いがついた三沢タイガーは客席に突っ込んだのである。
先に起きた三沢タイガーは、天龍をリングに入れると、フライング・ニールキックから、脳天からキャンバスに突き刺さる危険な角度のフロント・スープレックスで投げると、ジャーマン・スープレックス! 三沢タイガーの大金星かと思われたが、カウント2で天龍の右足がロープにかかり、ファンは大興奮だ。
三沢タイガーを正面から受け止めて、持てるものを引っ張り出した結果、思わぬ苦戦を強いられた天龍も必死だ。すかさずパワーボムを繰り出し、両手首を押さえつけながら強引に3カウントを奪った。
天龍は、この七番勝負について「あの頃はね、タイガーマスクの名前が重すぎたね。それなりにソツなくこなせるんだけど、やっぱり初代の佐山聡と比較されちゃうからさ。三沢も初代を超えようという意識が強くて墓穴を掘ったり、自分で自分をがんじがらめにしている部分があったよ。いかんせん佐山聡のタイガーマスクが大きすぎた。アニメそのままの佐山聡のタイガーマスクのあとだから厳しかったと思うよ。
で、馬場さんは三沢にも期待してたし、タイガーマスクにも期待していたから、2つのプレッシャーがかかっていたと思うよ。だから、あの七番勝負では“低迷気味のタイガーマスクが脱皮できるんだったら、それに越したことはないな”っていう気概を持って、彼が出してくるものを全部受け止めたつもりだよ」と言う。