学校で習った「日本は侵略国家であり、悪い国だが、ソ連は戦勝国であって、いい国だ」といった単純な歴史観は、近年、とくにヨーロッパではすでに破綻してしまっていると、近現代史と情報史に詳しい江崎道朗氏は語ります。こうした近現代史の見直しの動きを、日本人はどのように受け止めるべきなのか。ドイツと日本が友好関係にあった第二次世界大戦中において、ユダヤ人を迫害から守ろうとした杉原千畝、そしてもう1人の奮闘した軍人の存在を知っていましたか?

日本のユダヤ人保護政策は高く評価されている

ヨーロッパでの近現代史見直しの動きを、日本はどのように受け止めるべきなのか、という点について触れておきたいと思います。

第一に、戦後の日本の歴史教科書で描かれた「日本は侵略国家であり、悪い国だが、ソ連は戦勝国であって、いい国だ」といった単純な歴史観はすでに破綻してしまっている、ということを理解すべきです。

日本は1946年5月に始まった東京裁判で「侵略国家」というレッテルを貼られました。ドイツに対して実施されたニュルンベルク裁判がそうであったように、東京裁判においてもソ連は、判事、つまり正義の側に立っていました。

バルト三国をはじめとする東欧・中欧諸国からすれば、ソ連が正義であるような歴史観などありえません。日本では「日本は悪で、ソ連を含む戦勝国は正義だ」とする戦勝国史観こそが国際社会の常識だと主張する歴史学者が多いのですが、バルト三国やポーランドでは、この歴史観は通用しません。

「お前らは何を言っているのだ、ソ連のスターリンやアメリカのルーズヴェルトが正義なわけがないだろう。ルーズヴェルトはヤルタ会談で俺たちの自由をスターリンに売ったのだぞ」と鼻で笑われるだけでしょう。

第二に、第二次世界大戦のヨーロッパ戦線において、日本はほとんど無関係です。確かに日本は、ナチス・ドイツと同盟関係にありましたが、実際にヨーロッパ戦線に軍隊を送ったわけではありません。

むしろ、ナチス・ドイツと同盟関係にあったにもかかわらず、ナチスのユダヤ人迫害政策に反対していました。そして、幸いなことに現在、日本のユダヤ人保護政策は高く評価されているのです。

例えば、リトアニアにはホロコースト博物館があり、前庭には、杉原千畝を「我々の味方であった」と称えるモニュメントが建っています。

▲杉原千畝 出典:ウィキメディア・コモンズ

杉原千畝の評価については、さまざまな議論がありますが、少なくともリトアニアは、杉原千畝のことも含めて、日本はナチス・ドイツと同盟関係にあったにも関わらず、ユダヤ人を守ろうとしてくれた国であり、戦後はソ連によるシベリア・樺太抑留で苦しんだ、同じ仲間だと思ってくれているのです。

ラトビアの軍事博物館には、日の丸の旗が飾ってあります。第二次世界大戦後、多くのラトビア人たちがソ連によってシベリア、樺太に送られ、強制労働をさせられました。そのとき、同じシベリア、樺太にいた日本人たちと知り合いになり、プレゼントされた日章旗を本国に持ち帰ったのだそうです。

ラトビアは、1991年の独立回復後、ソ連の全体主義に苦しめられて助け合った日本人たちは味方である、という理由から日の丸を飾ってくれています。

よって、日本としては、戦前からドイツと同盟関係を結ぶことに反対していた政治勢力があったことを対外的に宣伝しつつ、まずは、ナチスのユダヤ人迫害に反対していた史実を国際的にアピールすることが重要だと思います。

▲1940年に外交官杉原によって付与されたビザ付きチェコスロバキアパスポート 出典:ウィキメディア・コモンズ