ユダヤ人迫害に反対した樋口中将の功績

幸いなことに、杉原千畝氏以外にも、ユダヤ人迫害に反対した軍人が日本には存在します。その代表的な人が樋口季一郎中将です。

▲樋口季一郎 出典:ウィキメディア・コモンズ

樋口中将は、ハルビン特務機関長だった1938年以来、ナチス・ドイツの迫害から逃れ、満洲を経由して上海に亡命することを目指していた、総計2万人に及ぶといわれるユダヤ難民の救済に尽力し、その人道主義は国際的に評価されています。

樋口中将は終戦に際してソ連軍が中立条約を一方的に破棄し、まず南樺太、さらに日本降伏後の8月18日に千島最北端の占守島に侵攻してきたときも、第五方面軍司令官として「断固反撃」を指令、スターリンの北海道・東北占領計画を粉砕して、日本の国土分割の野望を阻止しました。

このとき、スターリンの北海道・東北占領計画が成功していたら、日本はその後、分断国家となり、北海道と東北の日本人は家族を人質に取られ、関東以西の日本地域でスパイやゲリラ活動を強制され、日本人同士で殺し合いを余儀なくされたに違いありません。そして一旦、殺し合いを始めたら、日本は憎悪の連鎖に引き込まれ、内乱状態に追い込まれたに違いありません。そうなれば、戦後の奇跡の復興もなかったでしょう。

そこで、この樋口中将の功績を後世に伝えるために「一般財団法人樋口季一郎中将顕彰会」が設立され、2021年7月9日には、設立記念シンポジウムが東京の憲政記念館で開催され、私もパネリストとして出席しました。

このシンポジウムには、アメリカの戦略家エドワード・ルトワック氏からも次のような祝辞が届きました。

《樋口季一郎の名は、ユダヤ民族が存続するかぎり記憶され続けることでしょう。ユダヤ人の記憶は2000年の時を超えて、記述された形で生き続けてきたものです。ユダヤ人の敵は憤怒をこめて記憶に深く刻まれますが、ユダヤ人の友は深い感謝の念をこめて、永遠に記憶されます。樋口将軍が直面したのは、単純な決断でした。国境で起きていた事態を知ったとき、幾千人の人々が生存することを助けるために、あらゆる重荷を引き受けるべきか、それを見過ごすかという決断です。もし彼が日常の軍務を遂行するだけにとどまり、ユダヤ人たちをその運命に委ねたとしても、誰からも咎められなかったでしょう。しかし、彼は自らを咎めることになると思ったのでしょう。英雄とは、なされるべきことをなす指令を下すことに躊躇することを知らない人たちです。彼らは喝采を求めることもない。皆様とご一緒に樋口季一郎を記憶し続けることは、高い名誉に預かることにほかなりません。エドワード・ニコラエ・ルトワック(戦略家)》

戦前も戦時中も日本は、ナチスのユダヤ人迫害政策に賛成せず、ユダヤ人を保護しようとしました。その「史実」をもって世界に知らせることで、“ナチス・ドイツと同盟を結んでしまったことへの反省”を示すべきなのです。

外交においては、味方をつくるということが重要です。相手を批判すること以上に、味方の存在を認識し、そして味方となっている理由を正確に理解し、味方を増やすことが極めて大事なのです。

※本記事は、江崎道朗:著『日本人が知らない近現代史の虚妄』(SBクリエイティブ:刊)より一部を抜粋編集したものです。