デタラメな議論が成り立つ日本の近代史学

江崎 アメリカでの公文書の扱いの話をしましょう。慰安婦問題に関して事実を明らかにしてくれた、マイケル・ヨンという情報将校がいるんです。彼とはこれまで何度も話をしてきました。クリントン政権の頃だったんですけどね。

▲マイケル・ヨン 出典:Off2riorob(ウィキメディア・コモンズ)

そこで彼が言っていたのは、ナチス・ドイツの戦争犯罪に合わせて、日本の戦争犯罪を追及するということで、アメリカ政府〔ナチス戦争犯罪と日本帝国政府の記録の各省庁作業班:Nazi War Crimes and Japanese Imperial Government Records Interagency Working Group〕が日本の731部隊から南京事件、慰安婦等の問題を徹底的に調べたんです。

調べた結果、何が出てきたかというと……戦争犯罪に関しての証拠は出てこなかったわけです。アメリカの公文書管理はちゃんとしていますから。ちゃんとした公文書に基づいた調査では「日本の戦争犯罪を立証するのは難しい」という結論になったんです。このときは、日米にいる「日本の戦争犯罪を追及したい」という歴史学者は、この調査結果に不満たらたらだったんですけどね(笑)。

倉山 そうでしょうね。

江崎 戦時中の新聞がどう書いていたかということは、もちろん調査する必要はあります。でも、それらは参考にはなるけれども、アメリカ政府のきちんとした記録(公文書)では、日本の慰安婦強制連行は立証できなかったんです。アメリカではアーカイブに基づいた、きちんとした歴史の議論が成り立っていますからね。

これに対して日本だと、日記や個人の走り書きを証拠として「日本軍は戦争犯罪を行っていた」みたいに愚かなことを言い始めるんですよ。

倉山 岩波(書店)がやっている歴史学がまさにそれですよね。

江崎 たとえば「倉山満という男は、裏でこんな悪いことをしていたと書いていた」という私のメモがどこからか出てきて、私のメモ書きに基づいて「じつは倉山満はこんな極悪非道人だった」なんて世間に広まったりしたらどうなると思います? そんなの、ふざけるなって話ですよね。

倉山 日本の近代史の歴史学は、ほとんどがそれですからね。

江崎 そういうデタラメな議論が成り立っているのも、アーカイブという、まともな議論のできる正当な歴史学の手法が、日本にないからですよね。政治の議論の根幹の話がわかっていないから、そういうデタラメな話が世間で通用しているんです。

アメリカ政府が調べた結果、日本軍の慰安婦問題に関与したということに対しては「少なくとも公文書では、はっきりと証明できなかった」ということになった。それを踏まえてマイケル・ヨンが、今言われているような慰安婦問題はなかったよ、という本を書いたんです。日本では翻訳本(『決定版 慰安婦の真実(扶桑社)』)がベストセラーになりましたけどね。

倉山 昭和の日本って、文書管理がずさんで、行政もずさんだった。結局、山川出版社の教科書で、冀東(きとう)防共自治政府があってとか、わけもわからず覚えさせられるんです。汪兆銘政権をつくるときに冀東だの冀察だのを一つに統合しようと思ったら、自分がつくった傀儡政権が勝手に分裂してて、いくつ傀儡政権があるかわからなくて、ああ10個もあったんだといって慌ててまとめたというんです。こんなデタラメな話はないですよ。こんなふざけた侵略はないですよね。「真面目に侵略やれよ」とよく言うんですけど。

というふうに、日本は細かい文章のやりとりを、形式主義でやっているんだけれども、実質的な管理を全くやっていない。明治時代はそんなことはなくて、上層部の元老たちは、三国干渉の黒幕がドイツだということを全員がわかっていて、民間には一切漏らさないというすごさがありましたね。

江崎 個人が勝手に書いたメモと、政府の公文書を混同して歴史を評価するというような、実に愚かな議論がまかり通っているのは、こういうアーカイブの議論がわかっていないからですよ。


〇インテリジェンスとアーカイブの密接な関係~救国のアーカイブ[チャンネルくらら]