一般社団法人 救国シンクタンク所長の倉山満氏は「公文書管理(アーカイブ)」に基づけば、長年議論されている慰安婦問題についても正しい道筋を示すことができるとしています。日本におけるアーカイブの杜撰さ、個人のメモレベルのものを公文書と混同してしまう現状、海外のジャーナリストが見た慰安婦問題などを、インテリジェンス・近現代史研究の第一人者、江崎道朗氏との対談で明かします。

※本記事は[チャンネルくらら]で配信された江崎道朗と倉山満との対談をテキスト化し、一部を抜粋編集したものです。

日本における公文書管理の矛盾

倉山満(以下、倉山) 慰安婦問題の話から始めさせていただきたいのですが、なんと「帝国陸軍が慰安婦問題に関与していた」という、その証拠を私は発見してしまいましてね(笑)。

江崎道朗(以下、江崎) (笑)、ここで笑っちゃいけないですね……では、ご説明願えますか。

倉山 国立公文書館・アジア歴史資料センター(略称:アジ歴)という所があります。ここは、村山談話でつくられた日本の戦争犯罪、植民地支配といった日本軍による侵略の悪逆非道を、未来永劫にわたって全世界に広める目的でつくられたセンターなんです。実は私、昔、そこでバイト(非常勤職員)をやっていたんです。

当時は村山富市内閣だったので、アジ歴では慰安婦問題とかを中心として、日本軍が重ねてきたとする悪行の数々の資料を集めて公開するんだということで、関係資料を全世界にネット公開していたんです。

それで先日「慰安婦」と打ち込んで検索してみたのです。すると11件ヒットしました。私がバイトをやっていたときは9件だったので、この何年かのあいだに2件ほど増えたんです。でも「慰安婦」で検索しても11件しかヒットしないなんて、どう考えてもありえないでしょう。

そこで私は思ったんですよ。もっとアーキビストを育てて、集めた資料をちゃんと目録に整理しておかないとダメだと。だって検索に引っかからなかったら、たとえ資料がそこにあったとしても、存在しないというのと一緒ですからね。アジ歴は目録をちゃんと作なければならないんですよ。アジ歴のなかで目録をちゃんと作らないと、「村山談話」の精神が生きないじゃないか(笑)、とまでは言いませんけれどもね。

▲慰安婦 平和 人権の写真 出典:mickey / PIXTA

帝国陸軍の関与の話になるんですが、「慰安婦」で検索したら、2件目か3件目ぐらいに、なんと「東條英機がこれに関与していた」という資料(「重大ナル軍紀違反事項報告」)があったんです。

どういうことかというと「うちの伍長が、馴染みの慰安婦に会いたくて空出張したので罰してください」という報告書を、青木成一という師団長が陸軍大臣の東條英機のところに送っていたという資料なんですね。さすがにそこには東條のハンコは押されていなかったですよ。当然、東條大臣は決裁なんてしていません。当時、東篠は総理大臣を兼任していましたからね。

▲東條英機 出典:ウィキメディア・コモンズ

結局、その1件は副官か誰かが処理していましたけど。そんなレベルの「関与」だったら、いくらでもありそうですよね(笑)。それはともかく、そうやって慰安婦に関する資料を1つひとつきちんと目録にして、検索できるようにしておく。それから、誰が、どんな関与をしていたのかを議論していけばいいんですよ。ここにあるのは公文書なので、嘘は書いていないわけですからね。

ところが、今もそれがほとんどなされていない。それこそ村山談話の精神に則れば、けしからん話なわけです。だから、その目録を整備するためにアーキビストの増員に予算をかけるというのなら、私は大賛成なんですよね。そうやって積み重ねていった資料をもとに行うのが、本来の議論のはずなんですから。

そんなことがあったので、私は防衛研究所に行って、その資料の実物を確認してきたんです。すると「馴染みの慰安婦に会いに行った」という兵隊さんの名前は黒塗りになっていましたけれど、事件の概要とかはネットで全部読めるんです。

ところが、防衛研究所で実物(「簿冊」と言ってファイルに綴じられている)を開くと、鑑文に「軍紀違反重大事件の件」とあったんです。めくって中を見ようと思ったら、添付物は全部封筒に入っていて読めないんです。つまり、防衛研究所に実物を調べに行った人は、ファイルを見ることはできるけれど中身は読めない。名前はマスキングされているけれども、資料の概要は全世界にネット公開されている。これって矛盾していますよね。

江崎 要は、個人名は見られないようになっているという話でしょう。

倉山 個人名はネットでは見ることはできないですけれど、事件の概要はわかるんですよ。

江崎 実物を見たら個人名が黒塗り……だって現物を黒塗りにするわけにはいかないから。

倉山 それだったら、封筒を隠しているものはネットで公開しなくてもいいんじゃないか、という気がするんですよ。