「公文書」と聞いただけで、“隠す政府”と“追及する野党&マスコミ”との構図を思い浮かべるかもしれません。不幸なことです。本来の文書管理は、きわめて中立的なのですから。アーカイブは、政府与党にも野党&マスコミにも、国民全員に対して公平なものだと、憲政史研究家で一般社団法人 救国シンクタンク所長の倉山満氏は話しています。アーカイブの重要性を、インテリジェンス・近現代史研究の第一人者、江崎道朗氏との対談から解説します。

※本記事は[チャンネルくらら]で配信された江崎道朗と倉山満との対談をテキスト化し、一部を抜粋編集したものです。

文書学の基本は真贋鑑定から始まる

倉山満(以下、倉山) 江崎先生は専門家ではないのに、びっくりするほど詳しいんですが、いったいどこで、アーカイブのことを学ばれたんですか?

江崎道朗(以下、江崎) 政治の仕事をやっていれば「新聞でこう書いていますから」なんて、そんないい加減なことは言えないですよね。根拠のないものでは政策は作れないですから。

倉山 そうですけど、現実を見るとそうではない人が多いですからね。

江崎 それはそうだけど。

倉山 独学でやられているわけですよね。始められたのは大学を出て、社会に出てからですか?

江崎 アーカイブも含めた分析の手法とかは、最初は青山学院大学の佐藤和男(国際法)先生、その後、中西輝政先生たちの研究会に僕は参加していていました。それから、南京問題というものを、アメリカの軍や政治家たちに説得するためには、どういうふうなアプローチが必要で、どういう反論の仕方をしたらいいのか、ということについてアメリカの情報部の人たちと話をしてきたので、そこでかなり鍛えられましたね。

倉山 なるほど、やっぱり実践から始まっているんですね。

江崎 そうです。アメリカの情報部の人たちとの議論では、かなり鍛えられました。南京事件の場合、彼らは「南京はジェノサイドだ、もしくはホロコーストだ」という議論があります。ホロコーストというのは、組織的・計画的に特定の人種、もしくは特定の民族を殲滅することを言うんですね。

でも、1937年の段階で、日本陸軍は通牒や指令を出しています。「地元住民を保護すること」「無闇な殺害はしないこと」「国際法に基づくこと」という指令を出しています。しかし「特定の民族や人種を殺害せよ」というような指示は出していません。そういう文書は残っていないけど、それとは逆の内容の指令書はいっぱい残っているんです。それらの文書は防衛研究所に行けば見られます。

その資料を英訳して彼らに見せたら、そのような軍としての指揮・命令の文書が残っているということは「少なくとも組織的、計画的に中国人を殲滅するつもりはなかった反証の記録になる」って言うんです。だってそれは、日本軍の公的な記録ですから。

倉山 だから、「公文書」であるというのがものすごく重要なんですね。

江崎 そうです。だから、彼らは言うんですよ。南京の問題を言うときに「南京虐殺はなかったんだ」と言っているけれど、そうではなく、軍の公式な公文書が残っているんだから、それを出して、事実のポイントを議論すればいいんだと。

倉山 それは日本の歴史学界の闇とか……闇というより貧困のほうですかね、方法論の。

江崎 やっぱりアーカイブの議論がわかっていないからでしょう。

倉山 逆にわかっていて、それをさせない人も多いですからね。

江崎 繰り返しますが「そこがポイントだよ」ということを、彼らからはかなり言われました。俺たち(アメリカ人)を説得するには、そこで議論するのが1番いいよと。

倉山 日本の近代史って……古代・中世・近世研究の人は違うんですけれど、近代史研究の人って、文字で見せられたら、すぐにこれは事実だ、前提だといって信じちゃうところがありますね。「昭和天皇独白録」とか「富田メモ」とか。

あれなんかにしても、本来は、まず本物を見せてください、というところから始まるはずなのに、自分が持っている一次史料である富田メモにはこういうことが書いてある。これが本当だったらどうするか。その前提で議論しようとなる。そんなふうに相手の土俵に乗っかって議論をするんですね。

でも、文書学の基本は真贋鑑定から始まるわけですから。「まずは本物を見せてください」「実物を見せてもらえないと議論できません」というルールすら、日本では共有されていませんね。

江崎 そうなんです。

▲文書学の基本は真贋鑑定から始まる イメージ:スムース / PIXTA