国家安全保障局の存在も知られていなかった

▲ヴェノナ文書を公開しているアメリカ国家安全保障局の公式サイト 出典:江崎道朗:著『日本人が知らない近現代史の虚妄』

「ヴェノナ文書」が公開された経緯もなかなか劇的です。クレアとヘインズは『ヴェノナ』において、その経緯をこう紹介しています。

クレアたちは、リッツキドニー文書について研究を進めていくなかで、アメリカで「ヴェノナ作戦」なるものが存在した可能性があることに気づき、その著『アメリカ共産党とコミンテルン』において触れました。

1994年の時点では、ヴェノナ作戦は当然のこと、ヴェノナ作戦を実施していた国家安全保障局の存在さえ、一般には全く知られていなかったのです。

1995年の初頭、クレアたちは、民主党のダニエル・パトリック・モイニハン上院議員から電話をもらいました。

モイニハン上院議員は「いまや冷戦が終わったのだから、冷戦中に行われたアメリカ政府による諜報活動に関する機密保持や、情報秘匿の体制は大幅に見直されるべきである」という信念を抱いて、アメリカ連邦議会下院に政府機関による対ソ情報収集活動を調査する「政府機密の保全と公開に関する特別調査委員会」を1995年に設立し、自らその委員長に就いていたのです。

『アメリカ共産党とコミンテルン』を読んだモイニハン上院議員は「特別調査委員会に来て、政府の機密保全の在り方について証言してほしい」と、クレアたちに要請したのです。

ハリウッドで実施されていた共同謀議も判明

そこで我々は1995年5月に開かれた委員会に出席し、上述の著書で明らかにした多くの事実について説明したわけである。

その中で、我々は「ヴェノナ」の存在を暗示していると思われるソ連の文書があることについて触れ、委員会のメンバーに対して「今日アメリカの学者が、かつてアメリカ内にいたソ連のスパイによってモスクワに向けて発信された通信文を、ロシア政府によって公開された文書でしか見ることができず、それを解読した文書がアメリカにあるのに、それらはいまだに非公開でアメリカ人でも見ることができないというのは、大変おかしな話で皮肉としか言いようがない」と証言した。

「今や冷戦は終わったのであり、それらの解読文も40年以上も前のものなのだから、アメリカ政府がそれらをいまだに秘密にしているのは理に適わないことだ」と強く主張したのである。[『ヴェノナ』]

米国共産党の研究に取り組み、モスクワにも何度となく通って、調査と研究をしてきたクレアたちの言葉は、委員会のメンバーに響いたようです。

モイニハン上院議員は、彼の右手に座っていたCIA長官でアメリカのインテリジェンス活動全般を調整する立場にもあったジョン・ドイッチェのほうへ向き直り「NSAと話し合ってヴェノナ作戦に関する文書が、現在どのように扱われており、今後も秘匿を続ける必要があるかどうか、十分に検討してほしい」と注文したのです。

実は当時、NSA内部でも何人かの人物が、ヴェノナ文書の公開に踏み切るべきだと唱え始めていました。その理由は、いくつか存在しました。

第一に、ヴェノナ作戦は1980年に終結していました。文字通り“歴史”になっており、公開したところで、アメリカの諜報活動に支障をきたす恐れはありませんでした。

第二に、ヴェノナの解読文を公開すれば、これまでFBIやCIA、あるいはNSAが総力を挙げて解明しようとしてもできなかった、カバーネームだけで「ヴェノナ」に登場する人物の本名も、職業的な防諜担当官とは違った観点をもつ歴史家や、ジャーナリストたちなら解明できるかもしれないから、ということでした。

第三に、初期のヴェノナ作戦に加わった関係者たちが「(ソ連が)絶対に解読されないと信じていた強固な暗号を破った関係者の驚くべき功績を、自分たちが死ぬ前に公にしてほしい」と願ったというものでした。

第四に、モイニハン上院議員に対する対抗措置です。モイニハン上院議員が当時、議会を説得して、政府の機密事項を大幅に削減するよう強制的に命じる法案を通そうとしていました。当時の防諜・対諜報部門の高官は、今もし40年以上経っている「ヴェノナ」の機密を進んで公開することをためらったなら、議会は自分たちを極めて頑固でどうしようもない連中だと見なし、遥かに徹底した機密公開を義務づける法案を成立させることになるかもしれない、と恐れたのです。

以上のような判断から、1995年7月11日にCIAは公の式典を開催し、ヴェノナの記録が順次公開されることになった、と宣言しました。

▲顕著な共産主義者の共同謀議がワシントンでも実施されていた イメージ:makoto.h / PIXTA

このヴェノナ文書を精査した「政府の機密守秘に関するモイニハン委員会」は、1997年に出した「最終報告書」(REPORT of the COMMISSION ON PROTECTING AND REDUCING GOVERNMENT SECRECY, 1997, Appendix A 6. The Experience of The Bomb)でこう指摘しています。

第一の事実は、顕著な共産主義者の共同謀議がワシントン、ニューヨーク、ロサンジェルス(引用者註、ハリウッド、つまり米映画界のこと)で実施されていた。[拙訳]

ヴェノナ文書を精査したアメリカ連邦議会「政府の機密守秘に関するモイニハン委員会」は、戦前から戦時中に《顕著な共産主義者の共同謀議がワシントン、ニューヨーク、ロサンジェルスで実施されていた》ことを認めたわけです。

※本記事は、江崎道朗:著『日本人が知らない近現代史の虚妄』(SBクリエイティブ:刊)より一部を抜粋編集したものです。