日本にはインテリジェンスの潜在能力がある

このうち樋口と小野寺には遠からぬ縁がありました。第二次大戦勃発前の1940年7月、リトアニアのカウナス領事代理だった杉原千畝(ちうね)が、日本を通過する「命のビザ」を発給して6,000人のユダヤ人を救出したことはよく知られています。

▲杉原千畝の顕彰碑 出典:オー・サーティン / PIXTA

ドイツの国家警察の機密文書によると、1941年当時の日本の対露インテリジェンスのチーフはストックホルムの小野寺であり、ケーニヒスベルク(現・カリーニングラード)総領事代理に転身した杉原とヘルシンキ陸軍武官の小野打寛(おのうちひろし)が補佐役という役割で、3人がワンチームでした。

このバルト海沿岸における情報網を敷いたのが、1938年7月から参謀本部第二部(情報部)部長を務めた樋口です。つまり、3人ともに樋口の腹心の部下だったのです。

樋口も杉原も、ユダヤ難民救済に乗り出したのは、人道上の理由からでしたが、同時に、それが日本の国益につながるとも確信していました。彼らは戦後、この善行について聞かれても「人間として当然のことをしただけ」とともに答えています。

日本人らしい含羞(がんしゅう)ですが、ユダヤ人を救えたのは眼中国家あるのみの不惜身命で、自己犠牲をいとわない純忠至誠があったからです。そして、それが小野寺や樋口のインテリジェンスの成果につながったのです。

「謀略は誠なり(誠とは真心から発するもので、事をなすには誠心誠意をもって従事すること)」の精神で、世界初の情報士官養成所「陸軍中野学校」を開設した日本には、インテリジェンスの潜在能力があります。

中国とロシアが、サイバー空間を含む世界で容赦のない情報戦を展開する現在、戦前の「至誠のインテリジェンス」を復興させ、日本の安全と国益を守ってほしいと、泉下の小野寺や樋口、藤原も願っていることでしょう。