日本政府がイギリスとの間で、自衛隊とイギリス軍の相互運用を円滑にする動きを見せている。これには中国を牽制する狙いがあると思われるが、そのつながりに関わっているのが、歴史の教科書でもお馴染みの東郷平八郎元帥だ。元駐ウクライナ大使の馬渕睦夫氏と前ロンドン支局長の岡部伸氏が、東郷平八郎とイギリスの関係を語る。

※本記事は、馬渕睦夫×岡部伸:著『新・日英同盟と脱中国 新たな希望』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。

東郷平八郎の写真で日英4大臣が意気投合

岡部 歴史に関連する話でいうと、東郷平八郎元帥(1847〜1934)は、今でもイギリス人から「東洋のネルソン」として敬愛されています。

▲元帥海軍大将・東鄕平八郞 出典:ウィキメディア・コモンズ

ロシアのバルチック艦隊に完全勝利した、という実績もさることながら、国家存亡の危機を救うために生命を賭して戦ったリーダーだったことや、敵兵救助に最善を尽くし、降伏した敵将を紳士的に扱っていたことなどが、イギリス人にも好まれているんだと思います。日本の武士道とイギリスの騎士道で、相通じるところがあるんでしょうね。

馬渕 東郷さんはイギリスに留学していましたよね。

岡部 はい。明治初期に約7年間、イギリスに官費留学しています。その縁から、今でも東郷元帥を顕彰するイギリス人が少なからずいるわけです。

2017年12月、ロンドン郊外のグリニッジの国立海事博物館で開かれた、第3回日英外務・防衛閣僚会合(2プラス2)で、当時イギリスのジョンソン外相、ウィリアムソン国防相、日本の河野太郎外相、小野寺五典防衛相の4大臣が同博物館に所蔵されていた東郷元帥の肖像写真を一緒に見ながら談笑して、意気投合したというエピソードもあります。

▲国立海事博物館 出典:PIXTA

ちなみに、その肖像写真というのは、観戦武官(第三国の戦争を観戦するために派遣される軍人)として戦艦「朝日」に乗り込み、日本海海戦を目撃したイギリス海軍の駐日海軍武官ウィリアム・ペケナム提督(1861〜1933)が保管していたものです。

日本海海戦の約半年前の1905年1月に撮られた写真で、旅順〔中国遼寧省大連市。日露戦争当時、ロシア軍の難攻不落の要塞があった軍港都市〕陥落直後の祝宴に東郷元帥を招いた際に、東郷元帥が出席の返信に同封した写真を、ペケナム提督が日記に添付し、同博物館が所蔵していました。

先ほどの話ともつながるのですが、東郷元帥の写真で打ち解けた閣僚会合の翌日、小野寺防衛相(当時)がポーツマス港を訪れ、完成直後の空母「クイーン・エリザベス」を外国閣僚として初めて見学して、アジア派遣の際に海自の「いずも」と共同演習を実施することを提案しました。この日本のラブコールに4年ごしにイギリス側が応じようとしています。

▲東郷平八郎の肖像写真と直筆の手紙 ©岡部伸
▲駐日海軍武官ウィリアム・ペケナム提督の日記 ©岡部伸