「教育は国が保護する」という発想からの転換

2020年から世界中で流行している新型コロナウイルス感染症に対応するため、全国の大学がオンライン授業に切り替えています。これに対しても、通学をしないのだったら、もっと学費を下げてほしいという声が上がっています。当然のことです。

入学金を除いて、学生が大学に支払う金額には大学の施設設備費も含まれます。このほかに実験や実習のある理系学部は、文系学部よりも金額が大きくなるのが一般的です。「講堂で授業を行わないのに、その施設は必要なのか?」ということも、これからは考えていかねばならない部分です。

昭和31年(1956)の文部省令第28号「大学設置基準」では、大学が設置しなければならない施設について、細かく規定されています。こうした規定は、一種の規制です。大学の施設を作ることが目的なのではなく、質の高い授業を提供し、質の高い学生を輩出することが目的なのですから、形式の部分をもっと安く抑えられるのであれば、当然安く抑えることが経営上の判断になるのです。

大学生活のなかで、学生同士のコミュニケーションが必要だということもあるでしょう。でも、学生が集まれる機会を別途、大学がいくつか用意すればよいだけの話です。

▲オンライン授業が進むなかで大学施設は必要なのか? イメージ:papa88 / PIXTA

授業自体が学生のコミュニケーションを満たすものだという形をやめて、機能を分化していけばよい。より良い教育と学生へのサービスが提供できる大学は、当然、ほかの大学に比べてより優秀な学生を集めることができます。

「税金が入らないと授業料が得られません」というような大学に通うことはありません。無償で学生に通ってもらわなければならないような条件で提供される教育など、根本的に間違っています。これは、学生にとっても不幸ですし、なによりも日本国全体の損失です。

教育は国が保護しなければならないという発想を転換して、学問が本来あるべき場所に収まることで、学生にとっても社会全体にとっても大きな恩恵となるのです。