自由化というと、外国との貿易をイメージされがちですが、国内においても自由化によってビジネスの可能性が広がるものがたくさんある、と国内・国外の経済に詳しい、国際政治アナリスト渡瀬裕哉氏は語ります。そのひとつが鉄道、特に地下鉄にはチャンスが多く眠っているそう。

※本記事は、渡瀬裕哉:著『無駄(規制)をやめたらいいことだらけ-令和の大減税と規制緩和-』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。

チャンスだらけ! 東京の地下鉄事情

外国との貿易だけでなく国内でも自由化によって、いろいろなビジネスの可能性を広げることになるものはたくさんあります。そのひとつが鉄道です。

日本と鉄道の出会いは幕末のことです。当初は、各藩で蒸気機関の研究が行われ、明治時代を通じて全国に鉄道網の敷設が進められます。

大正時代になると地下鉄の建設が計画され、東京に最初の上野-浅草間の路線が開通したのは、昭和2年(1927)のことです。大正から昭和初期にかけての時代は、産業や家庭の電化が進み、まだ蒸気機関車が一般的だった時代ながら、地下鉄は当初から電気で走る専用車両が開発されました。

▲浅草上野間開業時に用いられた1000形電車 イメージ:ウィキメディア・コモンズ

それ以来、都市圏には網の目のように地下鉄網が張り巡らされ、各地の都市とともに発展していきます。現在では、東京や大阪のような大都市圏の鉄道網は、路線が複雑に接続し、各路線をつなぐ地下駅は迷路さながらの状態になっています。東京都内や近郊に住んでいて日常的に地下鉄を使う人でも、自分が利用する路線以外は何がどうなっているのかさっぱりわからない、という人が多いのではないでしょうか。

▲副都心線路線図(東京メトロ) 出典:PIXTA

東京を走る地下鉄路線のライバル関係

東京の都心部は、2つの鉄道会社が運営する地下鉄が日々運行されています。都営地下鉄が4路線、営業距離は109㎞、106駅あります。もうひとつの東京メトロは9路線、営業距離は195㎞で180駅となっています。

もともと、東京の地下鉄を最初に作ったのは、東京地下鉄道株式会社という民間企業です。戦前に出来上がった路線は、現在の地下鉄銀座線の原型です。昭和9年(1934)、浅草から銀座を通って新橋につながる8キロメートルの路線が完成しました。他の鉄道会社も参入し、新路線が作られていきます。

第二次世界大戦が始まると、昭和16年(1941)に帝都高速度交通営団が設立されます。政府と東京市、私鉄各社の出資による特殊法人で、東京地下鉄道株式会社と東京高速鉄道株式会社の事業を引き継ぎ、国家統制の色彩を強めていきました。

戦時中、営団は地下鉄だけではなく地上の交通網も統制していたため、戦後のGHQ占領統治下で多くの国策会社が解体された際、解体の対象とされそうになりました。これを「地下鉄を整備するための組織です」という理屈で乗り切り、中央政府は営団を存続させます。この帝都高速度交通営団(営団地下鉄)が、現在の東京メトロの前身です。

都営地下鉄は、東京都の公営企業です。運営しているのは東京都交通局で、都営地下鉄のほかにも、都営バスや都電、新交通システムを運営しています。

こちらは明治時代の終わり頃に、東京市の電気局としてできた組織で、路面電車の運行や電気供給を行うところでした。面白いところでは、上野動物園内のモノレールも東京都交通局が運営しています。

東京都交通局が、地下鉄事業に参入したのは戦後のことです。昭和29年(1954)年には、都議会で都営地下鉄の建設が決議されます。

以来、東京都心部の地下鉄網は、2つの会社によるライバル関係が続いています。平成16年(2004)に営団が民営化され、現在の東京メトロ(東京地下鉄株式会社)となりましたが、事実上、国営と都営の構図はそれほど変わらない状況です。

なぜなら、民営化後も株主は中央政府と東京都のままだからです。割合は、政府が半分以上の53.4%、東京都が46.6%です。過去には東京メトロの株式上場の話もあり、現在も完全民営化や早期上場を目指しているのですが、いろいろな経済状況の問題があって進まないようです。組織内部のパワーバランスの問題もあって、実現しづらい状況にあることも考えられます。

▲神田川と地下鉄丸ノ内線・中央線特快・総武線 出典:PIXTA