できないことには意識を向けない

やりたいと思ったほとんどのことは、試行錯誤したらできるようになった。

この言葉の対となる考え方が、やりたいと思ったこと以外は、できなくても気にしない。

手と下肢に身体的なハンディがある僕は、健常者が当たり前にできることで、できないこともそれなりにある。ただ、それはあくまで一般的な観点から見てのことで、僕自身は「できない」と捉えていない。

「『できなくて困った』とか『嫌だな』って思うことはありますか?」

そう尋ねられたときに、よくよく考えてみたのだが、結局思い当たらなかった。できないことに対して関心がないというか、そもそも自分で「できない」と認識していないのだ。

車いすバスケ選手である僕は、バスケでできないことがあったら、それを「課題」と捉え、全力でそれに取り組む。一方で、サッカーのリフティングができなくても、僕はまったく気にしない。「できる」「できない」というより、リフティングは「できなくてよいこと」として捉えているのだ。

自分の興味関心や、自分が大切にしているもの以外のことに、できるできないという認識自体がないのだ。

▲できないことには意識を向けない イメージ:mrwed54 / PIXTA

自分が、他者からのサポートをより多く必要としているからなのかもしれないが、ひとりで頑張り過ぎて心が疲れきっているような人を見ると思うことがある。

できないことがあったら、もっと気軽に、誰かに「助けて」と言える世の中になればいいのにな、と。

僕は小さい頃から、母に「やれないことは手伝ってもらいなさい。そしてやってもらったら『ありがとう』と言いなさい」と教えられてきた。自分ひとりで物事を解決しようというより、誰かに助けてもらいながらそれを解決しようとする人間だ。

学生時代は、階段を降りるときは友達におぶってもらい、テスト前には勉強が得意な友達に教えてもらっていた。

小さい頃からマイペースで、タイムマネジメントや時間通りに行動することがとても苦手な僕は、代表合宿や大会のたびにチームメイトやスタッフたちにたくさん迷惑をかけてきた。しかし、今回の東京パラは、代表メンバーで仲のいい高柗(たかまつ)義伸に全面的に助けてもらった。

代表活動中は常に一緒に行動し、モーニングコールをかけ合い、「次は○時にここ集合だから、△分にエレベーター前ね」と2人の集合時間を決めた。おかげでこの課題をずいぶんと解消することができた。高柗には感謝してもしきれない。

この助け合うという考え方は、バスケットではとても大切だ。

マークマンをひとりで追いかけきれないと思ったら無理に追わず、他の選手にカバーを任せる。自分のシュートの調子が悪ければ、調子のいい他の選手にどんどん攻めてもらう。

僕はシュートがうまいわけでも、ドリブルがうまいわけでもない。自分ひとりですべてをやるより、エースのヒロ(香西宏昭)やレオくん(藤本怜央)ら、他の選手たちとうまく連携しながら、プレーを一緒に作り上げていくのが何より楽しい。

バスケに限った話ではなく、障がい者も健常者も、人はひとりでは生きていけない生き物だ。助けてもらったらちゃんと感謝をし、自分も助けの手を差し伸べる。

そうやって生きていったほうが、みんなと一緒に成長できるし、みんなハッピーになれると思う。