ロック漫画を書くために全米横断
――ロックを題材にした漫画『ファイヤー!』は、当時としては異色だったと思いますが、企画は簡単に通ったのですか?
「『ファイヤー!』を描こうと決心したときに、本当のことを編集さんに言ったら絶対通らないから、グループサウンズ(GS)の話を描きたいと伝えたんです。GS全盛期だったから企画は一発で通りました。男の子が主人公だけど、いい?って言ったら、いいよって。GSは男性ばっかりですからね。
でも外国の曲を聴いてたら、(GSのような)甘いもんじゃない。当時の外国のロックっていうのは、若者たちのメッセージだった。私の頭の中では、厳しいストーリーになるとわかってたので、本場のロックを聴いたり、見たりしたいと思って、アンダーグラウンドを回る旅行を計画したんです」
――通訳やマネージャーをつけて?
「いえいえ、一人旅ですよ。英語? いやいや、できない。できないけど、意思は通じますよ。1968年、3週間ぐらいでしたかね。もう一番いい時期に世界中を見てまいりました。ロンドンのカーナビー・ストリートとか、キングス・ロード辺りがもう全盛期。トキワ荘に次ぐ、第二の青春だった。
ニューヨークとか、サンフランシスコとかみたいなところは、やっぱり夜が一番にぎやかなわけですよ。だから、ホテルの人に“女の子が1人で夜歩いちゃ駄目だよ”って言われるんですけど、深夜まで入り浸って夜明けに帰って来るんですよ。でも別に何もなかったです。運が良かっただけなのかわかりませんけれども。
今の時代に反旗を翻してる人たちばっかりだから、スーツなんか着ていない。みんな、それこそフェアリーみたいな格好してるわけですよ。とにかく素敵でしたね、力で戦うんではなく、理念の闘いというかな。自然に帰る、物を大切にしようとか、それから東洋思想みたいなもんですね。そういうものっていうのは、西洋にはなかった。みんなあの時代に若い人たちが始めて、定着していったんですね。考え方の大改革だったと思う」
――『少女漫画家「家」の履歴書』の最後に、漫画界のお話を記録したいとありました。
「1970年辺り、漫画の黄金期がありましたね。漫画を雑誌に載っけたら儲かることがわかってきて、漫画を増やしてくという時代になった。昔は抑圧されていて、漫画を描いてるなんて口にも出せなかった。漫画家の地位はずっと低かった。
少女マンガで言うと、手塚先生の『リボンの騎士』と、それから池田理代子さんの『ベルサイユのばら』ですか。そのあいだの20年間の記録は空白です。我々のことは何も、誰も知りません。大ヒットしたものしか、人の目に触れてないわけですよ」
――私も何も知りませんでした。
「だから、そのあいだの一番重要なことをみんなで話し合って、記録を作りました。大学の研究書として一応まとめてもらっています。今、明治大学のWEBサイト内で『少女マンガはどこからきたの?』というWEB展示で見ることができます。
ただ、一般書としてはまだできておりません。そういう意味で店頭で売るようなものを作りたいね、と言ってるとこです。それと『太陽館の大缶詰め』、体が言うことを聞かなくなってきましたが、これらの記録も描きたいと思っています」
〇明るくて気持ちがいいアパートでした【Crunch-book-intervieW-前編-】
〇少女マンガはどこからきたの?web展
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