もともとはウクライナの民族料理だったボルシチ
ただし、ロシアとウクライナの文化的相違は意外に大きい。
「ルーシ」の中心が、キエフから現在のロシア側へと移行していったあと、ウクライナの地は、ロシア、ポーランド、リトアニア、トルコ、さらにはクリミア・タタールといった列強の干渉地帯(「荒れ地」と呼ばれた)となり、外国の影響を強く受けた。
さらには、軍事的共同体である「コサック」による国家(ヘトマンシチナ)が17世紀に成立するなどした結果、ロシアとは微妙に(時に大きく)異なる文化が育まれたのである。
ちなみにボルシチやカツレツといったおなじみの「ロシア料理」も、もともとはウクライナの民族料理である場合が多く、本来はウクライナ文化であるものが、「ロシア」という括りに入れられることで覆い隠されてしまうという構図も指摘できよう。
このような歴史的経緯の差は、言語にも表れている。ロシア語とウクライナ語の文法はよく似ているが、発音は微妙に異なっており、ロシア語の男性名「ニコライ」はウクライナ語では「ムィコラ」、ロシア語で「キエフ」と発音されるウクライナの首都は、ウクライナ語では「キーウ」となる。
また、「軍隊」はロシア語で「ヴァアルジョンヌィエ・シールィ(вооружённые силы)」だが、ウクライナ語では「ズブロイニ・シーリ(збройні сили)」と、明らかにポーランド語の影響が見られる(ポーランド語では「シーリ・ズブロイネ(siły zbrojne)」)。
発音にしても語彙にしても、ウクライナの言語は独特のものであって、簡単に「ロシアの民」と括られることには抵抗があろう。
また、似ているということが常に親近感を生むとは限らない。気安いがゆえの侮り、蔑視、あるいは近親憎悪が生まれることもある。ロシア人がしばしばウクライナ語を「粗野なロシア語」とみなし、ウクライナ語話者を格下のように扱うのはその一例であろう。
ある劇場では、シェイクスピアの「マクベス」をウクライナ語で上演したところ、ロシア人の観客から失笑が漏れたという。「平安時代の宮廷人たちが東北弁を喋っているようなものですよ」と言われると、たしかにそれはおかしみを誘う風景ではあるかもしれないが、やはりそこには悪意のない差別意識が含まれてはいる。
ウクライナ危機の際には、クリミアを占拠したロシア軍特殊部隊の兵士に向かって、猫が「ありがとう、もうキート(кiт)じゃなくなったよ」と話しかけているコラージュ写真が出回った。猫はウクライナ語で「キート(кiт)」、ロシア語では「コート(кот)」である。
クリミアがロシアに併合されたことで、猫もロシア語で呼ばれるようになったというわけだが、なぜ「ありがとう」なのだろうか。おそらくウクライナ語の「キート」がロシア語でクジラを意味する「キート(кит)」のように聞こえることに引っ掛けているのだろう。
「ロシア軍のおかげでクジラから猫に戻れた」=「猫もクリミア併合を歓迎している」というニュアンスがそこにはある。ロシアも非常時には猫の手を借りるのである。