大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で注目を集めている主人公の北条義時。鎌倉幕府3代将軍の実朝が殺されたことで、北条氏へと権力が移行していくのですが、状況証拠から、三浦義村と北条義時の2人が黒幕の最有力候補に挙げられています。歴史作家の島崎晋氏が実朝暗殺の裏側に迫ります。
※本記事は、島崎晋:著『鎌倉殿と呪術 -怨霊と怪異の幕府成立史-』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです
実朝暗殺事件は夢で予告されていた?
公暁による実朝暗殺が決行されたのは、1219年1月27日のことです。現場は右大臣拝賀のため訪れた鶴岡八幡宮の寺境内で、実行犯が公暁なのは間違いないのですが、背後にいた黒幕について調べが及ぶことはなく、その後も真相が明らかにされることはありませんでした。
ただし、状況証拠から、三浦義村と北条義時の2人が、黒幕の最有力候補に挙げられています。
三浦義村の妻は公暁の乳母、子息の駒王丸は公暁の門弟と、義村は公暁と私的な交流関係を築いていました。実朝暗殺に成功した公暁は、後見人である備中阿闍梨の雪下北谷に逃れたあと、そこから義村のもとへ使いを送っているので、三浦氏の武力に頼ろうとしたのは明らかです。事前の約束があったかどうかはわかりませんが、公暁には他に頼るべき御家人が見当たりませんでした。
一方の義時は、実朝の鶴岡八幡宮寺参詣に際し、剣役を拝命しながら、急に心身の不調を訴え、源仲章にその役目を代わってもらいました。この仲章が同じく公暁の手にかかって殺されたのですから、公暁の狙いを実朝と義時の同時殺害とする説にもそれなりの説得力があります。義時が死んで一番得をするのは北条氏に次ぐ勢力を誇る三浦氏でしたから、義村に疑惑の目が向けられるのは無理のない話でした。
義時が間一髪、凶行から逃れられたのは、本当に体調不良が原因なのか、それとも虫の知らせか、あるいは義村との共謀関係、義村の計画を察知しての行動、すべてが義時の計画のうちなど、さまざまな可能性が考えられます。
しかし、『吾妻鏡』は義時の前半生を没個性的、頼家時代以降はとことん善人として描いているため、実朝暗殺事件に関しては、とうに予告されていたとする記事まで載せています。
ひとつは1218年7月9日条で、北条義時が薬師堂の建立を考えていたとき、夢に薬師十二神将のうちの戌神が現れ「今年の神拝では何事もなかったが、来年の拝賀の日は供奉されぬように」と告げられたというのです。
薬師十二神将とは薬師如来の周囲に配され、各方角の守護を担当する神将で、戌神は戌の刻(午後7~9時)・戌の方角(西北西)を担当する神将でした。この「いぬ」というのが1つの鍵になります。
次は1219年2月8日条で、義時が完成した大倉薬師堂に参詣した折の回想です。
「去る1月27日夜は、白い犬が目に移ったかと思いきや、たちまち意識が朦朧としてきたので、剣役を源仲章に代わってもらった。そのとき、大倉薬師堂の戌神の像は堂のなかから消えていた」というのです。
どれも裏の取りようのない話ばかりですが、それにしても義時を助けたのはなぜ十二神将のなかでも「戌神」なのでしょうか。