世話になった人たちを助けるのは人間として当然
そもそも、対ロシアのインテリジェンス・オフィサーとして、ウラジオストク、ハバロフスクの特務機関に勤め、ワルシャワ駐在陸軍武官としてポーランドやドイツにも赴任した経験のある樋口中将は、ユダヤ人をめぐる問題に精通していました。
孫の隆一氏は「祖父の決断は、まったくの個人的判断からでした」と指摘し、その理由を「日本人はユダヤ人に非常に世話になった。彼らが困ったときに助けるのは当然だと言っていました」と説明しています。
樋口中将は戦後、家族にもユダヤ人救出の件は伏せていましたが、孫の隆一氏には「やるべきことはやった」と秘かに胸を張って話していたそうです。
また、隆一氏は「祖父は合理的に物事を考える人だった。ユダヤ人を救ったのは、筋が通らないことが嫌いだったからでしょう」とも話しています。
『陸軍中将樋口季一郎回想録』(芙蓉書房出版/1999年)によると、樋口中将は、1919年に特務機関員として赴任したウラジオストクで、ロシア系ユダヤ人の家に下宿していたそうです。そして、そこでユダヤ人の若者と毎晩語り明かして親交を深め、ユダヤ問題の存在を知りました。
また、ワルシャワ駐在陸軍武官として1925年から赴任したポーランドでは、弾力性ある国際感覚を身に付け、人口の三分の一を占めるユダヤ人が差別と迫害を受けているという、流浪の民族の悲哀を垣間見ます。ここでも下宿を提供してくれたのは、ユダヤ人でした。
ちなみに、当時のワルシャワでは、1921年から駐在した海軍の米内光政や、樋口と同じく1925年に暗号解読技術習得のため留学した陸軍の百武晴吉(ひゃくたけはるよし)らもユダヤ人宅に寄宿していました。
この厚遇を忘れなかった樋口中将は、こう説いたそうです。
「戦前の欧州では、アジアの有色人種に対する差別があって、日本人が家を貸してもらえないことが多かった。そのなかで日本人に家や下宿を貸してくれたのはユダヤ人だった。だから、日本人は世話になったユダヤ人に恩義がある。世話になった人たちが困っているのだから、助けるのは人間として当然だろう」