1938年の満州国、樋口季一郎が陸軍内での地位を失う覚悟で行ったユダヤ人の救済について、ドイツから「妨害行為だ」と抗議されてしまう日本。しかし、この抗議書が届けられても、樋口は陸軍から失脚することはなかった。ドイツとの国交に亀裂を生じさせる選択をした樋口は、なぜ処分されなかったのだろうか? 産経新聞論説委員の岡部伸氏が、ドイツから抗議書を受け取ったその後について語ります。

※本記事は、岡部伸:著『至誠の日本インテリジェンス』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。

ドイツから樋口季一郎中将の「暴走」に対して抗議書

日本が協力したオトポールでのユダヤ人救済について、後日、日独防共協定を結んでいたドイツのリッペントロップ外相からオットー駐日大使を通じて、日本政府に「ドイツ国家と総統の理想に対する妨害行為だ。日独国交に及ぼす影響少なからん」と、樋口の処分を要求する公式の抗議書が日本政府へ届けられました。

▲ニュルンベルク裁判中のリッベントロップ(前列左から3番目) 出典:ウィキメディア・コモンズ

それを受けて、外務省・陸軍省・関東軍内でも、樋口中将の「暴走」に対する批判が上がりました。

『指揮官の決断 満州とアッツの将軍 樋口季一郎』(早坂隆:著、文藝春秋/2010年)によると、それを十分に覚悟していた樋口中将は、満州国の首都だった新京(現・長春)にある関東軍司令官である植田謙吉大将に、次の書簡を送りました。

小官は小官のとった行為を、けっして間違ったものでないと信じるものです。満州国は日本の属国でもないし、いわんやドイツの属国でもない筈である。法治国家として、当然とるべきことをしたにすぎない。たとえドイツが日本の盟邦であり、ユダ民族抹殺がドイツの国策であっても、人道に反するドイツの処置に屈するわけにはいかない。[『日本』昭和37年/新春特大号]

東條英機を納得させてドイツの抗議を一蹴

この書簡が再び論争の火種となり、関東軍司令部から樋口中将に出頭命令が来ました。樋口中将は、呼び出された満州国参謀本部参謀長の東條英機中将に、こう主張しました。

「ドイツのユダヤ人迫害という国策は、人道上の敵であり、日本満州の両国がこれに協力すれば人倫の道に外れることになります。ヒトラーのお先棒をかついで弱い者いじめをすることを正しいと思われますか」

東條中将は、樋口中将にとって陸軍士官学校の四期先輩にあたります。

樋口中将は、前年1937年7月7日に発生した盧溝橋事件以来、日中戦争を泥沼化させていた東條派の“独走”を苦々しく感じていました。しかし東條中将は、樋口中将の主張に耳を傾け、懲罰を科しませんでした。樋口中将の決断に理解を示したのです。

その後、樋口中将は参謀本部第二部(情報部)長に栄転して、事件は沈静化しました。

戦後、東京裁判で「A級戦犯」とされた東條中将が、ドイツの抗議を「当然なる人道上の配慮によって行ったものだ」と一蹴したのです。

▲極東裁判で被告台に立つ東條英機 出典:ウィキメディア・コモンズ

前掲書『指揮官の決断』によると、戦後、樋口中将は「(東條さんは)頑固者で、こうと思ったら一歩もあとへひかない性格の持ち主であったが、筋さえ通れば、いたって話がわかる人である」と回顧しています[『日本』昭和37年/新春特大号]

また、東條英機の曾孫にあたる東條英利氏は、2015年にオーストラリアのシドニーの地元公共放送局SBSのトーク番組に出演後、ナチスによる迫害を知るユダヤ人から、涙ながらに握手を求められ「あなたのひいおじいちゃんは正しいことをしたのよ」と言われたと話しています。

樋口中将が下したユダヤ人救済の決断は、「自ら下した独自の個人的な判断」(孫の樋口隆一氏)でしたが、日本陸軍、そして日本政府が、事実上の軍事同盟を結んだナチスの人種思想に同調せず、ユダヤ人を救ったことは、日本人として忘れてはいけない真実です。