ロシアのウクライナ侵攻が始まって、もうすぐ3か月になろうとしている。フィンランドやスウェーデンもNATO(北大西洋条約機構)に加盟する見通しとなり、西側諸国とロシアとの対立が鮮明になってきた。ロシアとNATOの緩衝国であることが当たり前だったウクライナが、なぜNATO加盟を望んだのだろうか? 国際弁護士でコメンテーターのアンドリュー・トムソン氏が、ウクライナとアメリカのつながりを紐解きます。

※本記事は、アンドリュー・トムソン:著、山岡鉄秀:翻訳/監修『中国、ロシアとの戦い方 -台湾・日本をウクライナにさせないための方法-』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。

ロシア国民にとっても不幸なウクライナ侵攻

プーチンがウクライナに侵攻した頃、世界経済はインフレに見舞われていました。愚かなコロナ政策によってサプライチェーンに生じた問題や、アメリカ民主党によるアメリカの石油・ガス産業との戦争が原因です。

世界経済フォーラムや国連、世界の左翼政党やマスメディアといったグローバリストのエリートたちが、懸命に追求した脱炭素政策によって、バイデン大統領の就任1年目に原油価格が2倍になったのです。ガソリンは1リットル170円に値上がりしました。九州に住む私は、トヨタランドクルーザーを使わず、30年前に購入したホンダの原付カブで駅に行くようになりました。

世界第3位の石油・ガス産出国であるロシアは、欧米の脱炭素化の狂騒によって2つの大きなメリットを享受しました。石油とガスの価格が上昇し、ヨーロッパ(特にドイツとイタリア)がロシアのガスに完全に依存するようになったため、ロシアは莫大な利益を得ることができたのです。

プーチンが、彼の「地政学的な邪悪な欲望」を追求するために、ヨーロッパに対して軍事パワーを行使しないと誰が予想したでしょう。

ウクライナ侵攻は、ロシア国民にとっても災難でした。欧米諸国による対露制裁は、ルーブルの価値を著しく低下させ、ロシアの銀行システムは崩壊へと向かっています。プーチンは、侵略を阻止しようと干渉してくる国に対して「核兵器を使用する」と漠然とした言葉で脅迫しました。

しかし、誰もが驚いたのは、ウクライナ軍と一般ウクライナ人の勇敢な抵抗でした。ウクライナ大統領のウィロディミル・ゼレンスキーは、ユダヤ系の元コメディアンですが、首都キーウを離れることを断固拒否しました。

彼がソーシャルメディアを駆使して国民に闘いを促したことは、実に驚くべきことでした。彼の勇敢な行動に促されて、多くの国がウクライナに武器などを提供することを決めました。ドイツは平和主義を捨て、ウクライナを支援するようになり、国防費の増額を決定したのです。

▲ウォロディミル・ゼレンスキー 出典:The Presidential Office of Ukraine(ウィキメディア・コモンズ)

大きな問題は、この侵攻がロシアとNATO(北大西洋条約機構)の全面戦争、すなわち第三次世界大戦に発展するかどうかでした。メディアでは、プーチンの健康状態について、何人かのコメンテーターが言及していました。

コロナパンデミックのあいだ、彼は物理的に自分を隔離していました。会議には20メートルもあるテーブルを使って、人を近づけさせませんでしたし、多くの専門家は、彼がコロナウイルスのワクチンを打っていないのではないかと疑っています。

専門家のなかには、彼がパーキンソン病であることを示唆する人もいました。つまり、世界はロシアの大統領が想定外の暴走をし、アメリカの大統領は徐々に認知症になっていくという事態に直面したのです。両者とも、今、自国の経済に深刻なダメージを与えるような政策を進めています。私は、人生でこれほどの危険な時代を経験したことはありません。

ウクライナは中立の緩衝国であり続けたが・・・

アメリカの保守系の学者によれば、オバマ政権は(ブッシュ前政権もある程度はそうですが)、ウクライナに関して一連の愚かな過ちを犯したと言います。

もともと、ウクライナはソビエト連邦の一部でした。第二次世界大戦中は、ナチスドイツとソ連の巨大な戦場となりました。一部のウクライナ人はドイツを支持しましたが、多くのウクライナ人(ゼレンスキー大統領の祖父も)はソ連軍の兵士でした。

ソ連解体後、ウクライナは独立国となりましたが、ロシアはウクライナをNATO諸国との緩衝国家と見なしていました。多くのロシア研究者は「ロシアの指導者たちは、攻撃されたり侵略されたりすることに対して病的なまでに恐怖感を抱いている」と強調しています。NATOの東方への拡大は、ロシアにとって最大の恐怖でした。

1990年2月9日、アメリカのベーカー国務長官は、ロシアのゴルバチョフ大統領に対し「NATOはロシアの国境まで拡大しない」と約束しました。ベーカーはこのとき「1インチたりとも東進しない」という言葉を使ったことで有名です。

その結果、弱体化していたロシアは、ドイツの再統一に合意しました。さらに翌10日、ドイツのヘルムート・コール首相は、ゴルバチョフ大統領に会い「NATOは活動範囲を広げるべきではないと考えている」と告げました。

しかし、クリントン政権や第二次ブッシュ政権で、この約束は忘れ去られました。多くの旧ソ連圏の国々は、ロシアを恐れ、特にプーチンがロシアの大統領になったときに、主権を行使してNATOに加盟しました。このことを非難することはできません。

彼らは、ソ連時代の抑圧をはっきりと記憶しており、プーチン(元KGB将校)はその象徴として映っていたのです。バルト三国・チェコ・スロバキア・ポーランド・ハンガリー・ルーマニアは、プーチンと彼の核兵器を恐れていました。彼らはアメリカの保護を求め、さらに経済的な繁栄を求めてEUに加盟したのです。

ウクライナは違いました。NATOに加盟しなかったのです。EUにも加盟しませんでした。ウクライナにとっては、中立の緩衝国であり続けることが「常識」だったからです。

▲ウクライナは中立の緩衝国であり続けたが・・・ イメージ:sb2010 / PIXTA