培ってきた力を発揮できる老年は「創造の世代」
――すでに行き詰まっていますか?
馬渕 年金のシステムを変えられるかどうかはわからないけど、生き方は変えられる。それに気付けば、老年の人生もすごく楽になる。
現在、厚生年金を受給している人は月20万円くらいです。公務員の人が受け取る共済年金もほぼ同額ですし、国民年金のみだと5万円の方もいらっしゃいますね。この受給金額自体を増やすということは、現行のシステムでは無理なわけです。
マーケット・エコノミー(市場経済)から見れば、月20万で生活するのは大変かもしれないけれど、「老年こそ創造の世代」という視点から見れば、また違ったものが見えてくる。
それには、老人の、あるいは年金生活者のクリエイティビティ(創造性)を活かすような社会にしていくということですね。そうすると年金の受給額は同じでも、生きがいが変わってくるというか、生活の仕方が変わってくる。
「創造」というのは、「新しい価値」をつくっていくということです。その新しい価値にこそ市場価値もついていくのではないでしょうか。
例えば今、学校の先生が不足していて、先生がオーバーワークしているというけれど、学校を定年退職したベテランの元教師をなぜ活用しないのだろう、といつも思います。
そういう先生は、現役時代に培った創造力というものがある。創造力が熟成された時点で定年になって、現場を引退しなければいけない。実にもったいないことです。ベテランの先生が創造力を発揮して、現役時代にはできなかった広い意味での社会教育を行えるような社会になれば、結果的にそれは日本全体のプラスになる。
今までのようにね、年金とか社会保障とかいった、狭い、唯物的な観点からだけではなく、これからはそれを超えた発想というものが求められてくるのではないでしょうか。
――定年を迎えてからがむしろ、やりたいこと、やれることが見えてくるというわけですね。
馬渕 一生懸命に働いてきてね、予行練習をようやく終えて、自分が培ってきた能力をいよいよこれから活かそうと思っても、活かせない社会になっているのです。
政府は高齢化社会に向かって全世代的な社会保障とか、そんな難しいことを考えているようだけど、そんなことよりも、老人のクリエイティビティをどう活かすかを考えたほうが、むしろ年金問題の解決には役立つのではないでしょうか。
先に挙げた田中先生の本は、厚生労働省の役人は参考にすべきですね。役人的な頭からすると、基礎的な計算は大事なことかもしれないけれども、そこで終わっていたのでは、いつまでたってもこの問題は解決しない。
家族の相互的な関係を取り戻す社会へ
日本はだんだんと老人を大切にしない社会になりつつあるのではないでしょうか。昔の大家族のシステムの下では、老人はとても大切にされていたのです。
今、痴呆老人や認知症の問題がクローズアップされていますね。家族が介護ノイローゼで自殺してしまうなんて話もよく聞きます。でも、昔は認知症の老人がいなかったかといえば、いたわけですよ。それをお世話することが苦であるという発想がなかった。老人介護なんて言葉もなかったわけです。
例えば、昭和30年代は今より日本はずっと貧しかった。経済的にはずっと大変だったのにもかかわらず、子育てはもっと楽だった。それは、子や孫がおじいちゃん、おばあちゃんと一緒に住んでいたから。
おじいちゃん、おばあちゃんは子どもの面倒をみながら、自分の経験を教えてあげることができる。そのおじいちゃん、おばあちゃんが老いて動けなくなったら、家族みんなで世話をする。
つまり、関係が与える側から与えられる側への一方通行ではなくて、双方向の関係だったわけです。今は物理的にそういう関係は成立しにくくなっている。孫とは、せいぜいお盆かお正月に会うぐらいでね。これは実にもったいないことだと思いますね。
老人は単にケアされる対象じゃないのですよ。老人も与えることができる。周りの人に、社会に貢献できるのです。その機会を奪っているといえますね、今の社会は。
人間はどんな年齢になっても、どんな環境にあっても、「与える存在」であり得るということです。そういうことに気付いていけば、我々の毎日の生活というのは、もっと幅が広がってくると思うのですよね。
老人の経験なり知恵を活かす社会を目指すべきです。そうなれば、高齢化社会なんてそう恐れる必要はないと思います。人間はどんな厳しい環境の下に置かれても、なおかつ他人や社会に何かを与えることが出来る存在であり続けるわけですから。