お笑いコンビ「ありがとう」としての活動と並行し、怪談家としてTV出演や、書籍の発売、著名人をゲストに迎えた大規模な怪談ライブや全国ツアーを行い、あの稲川淳二をして「後継者」と称されるぁみ。今度の8月には、渋谷のライブハウス3会場4ステージを使って、「HORROR TELLER FESTIVAL 2022」を開催予定。精力的に活動の幅を広げている。

そんな彼が、芸人を志したきっかけから、怪談を披露するようになった経緯、稲川淳二からのうれしい言葉や、話し下手な人にアドバイスしたい心得まで、幅広く話を聞いた。

どこに行っても喜ばれる有名な人になりたかった

――まずは、ぁみさんの半生を振り返らせてもらえたらと思うんですが、もともと野球部で高校球児だったんですよね?

ぁみ はい。僕は地元が山口県なんですが、宇部商業高校で3年のときは4番を打ってました。僕が3年生の代では甲子園には行けなかったんですが、1年のときは甲子園に出場したので、スタンドから応援していました。ちょうど1998年、サヨナラボークでうちの学校の投手が悲劇のヒーローになったときですね。

――そんな名門で4番を打つくらい、地元では注目選手として有名だったそうなんですが、芸人になったのはどういうきっかけだったのでしょうか?

ぁみ もともと、芸人になりたいと言うよりは、人前に出たい! という夢があったんです。こう言うと綺麗ごとに聞こえるんですけど、どこに行っても喜ばれる有名な人になりたかった。

――それでも、歌手や俳優などあると思うんですが、そのなかで芸人を選んだのは?

ぁみ たしかに、歌手でも俳優でも喜ばれる有名な人なんですけど。僕の世代だと、とんねるずさんが歌も歌う、俳優としても出る、もちろん面白い、それを見てたんで、芸人さんだったら全部兼ね備えてるじゃん!って思ったんです。

――なるほど。とんねるずさんは全てやってたし、カッコよかったですもんね。

ぁみ 芸人さんがカッコいいなと思った瞬間は他にもあって、まだ地元に住んでる頃、地元の祭りに品川庄司さん、ポテト少年団さん、ツーナッカンさんが来たことがあって。そのとき雨が降ってたんで、芸人さんは運動会の本部みたいなテントの下でネタをすることになったんですけど、センターマイクが、ちょうどテントを支えるポールの前にあったんです。

そしたら、ポテト少年団さんはトリオなんですけど、立ち位置が真ん中の菊地さんが出てきてすぐに「どうも~、ポテト少年団です……ていうか邪魔だなこれ!」って、目の前のポールにツッコんで、そのときにドン!って客席がウケて、「カッコいい~!」って(笑)。

――いい話ですね!(笑)

ぁみ 素人目から見ても、ネタじゃないアドリブのところでウケてる!ってわかって、そこに衝撃を受けたんです。正直、それまでは吉本とかそこまで意識したことはなかったんですけど、上京してNSCに入ったのは、その営業での刷り込みがあったかもしれないですね。

――高校を出て、すぐに芸人を目指して上京されたんですか?

ぁみ いえ、「芸人になりたい!」と言って、田舎から東京に行く子どもに賛成する親って、そうそういないですよね(笑)。なので、介護福祉の国家資格を取って、地元の介護施設で2年ほど働いてました。親を説得するために選んだように思われるんですが、芸能と同じくらい好きな仕事で、東京に来てからも芸人をやりながら介護の仕事をしてました。

――人と触れ合う、目の前の人を喜ばせたいというのが、ぁみさんの芯にあるんですね。今は、ありがとうというコンビで細野哲平さんと活動されてますが、以前はトリオだったんですよね。

ぁみ もともと僕がピンで、同期の子がそれまで組んでいたコンビを解散したタイミングで、組まない?って誘われたんです。でも、僕はやるならトリオがやりたくて、それでメンタルエイジというコンビを解散していた細野さんを誘って、トリオで「ありがとう」を組んだんですが、僕を誘った同期の子が辞めて、そのままコンビで活動している感じです。

自分で切り開いた道を進んで行きたい

――ぁみさんを語るうえで欠かせない怪談ですが、もともと芸人になる前から好きだったんですか?

ぁみ そうですね。見たり聞いたりするのも好きでしたし、仲間内で披露するのも好きだったんです。なので、芸人になった直後から、夏にライブとかで、怪談を披露する場があったら、先輩とか同期、トレンディエンジェルの斎藤さんとかの推薦で出てましたね。ただ、自分が怪談で食っていくんだ、とは思ってなくて、あくまでも最初は趣味のひとつでした。

――それでも、オリジナルの怪談を話せるくらい、いろいろな不思議な体験をされていたってことですよね?

ぁみ はい、不思議な体験はしていました(笑)。ただそれが、芸人としての自分に直結していたかっていうと、当時は意識が薄かったと思います。

――一番大きな反響があった仕事はなんだったんですか?

ぁみ テレビの地上波で初めて怪談を披露したのが2010年なんですけど、『不可思議探偵団』という番組で怪談のオーディションがあって、そこに参加した100人以上の中で、とりあえず収録されるのが10人、そこから放送に残るのが3人。その3人に入って、地上波のゴールデンで僕の怪談が流れたんです。あ、僕って怪談を好きでやってたけど、こうやってゴールデンの番組でも受け入れられるんだって。

その企画が好評だったみたいで、また第2弾のオーディションの誘いがあって、同じようにまた3人に残ったんです。そしたら、第3弾ではオーディションなしで誘っていただいて。その番組で、怪談企画に全て出たのは僕だけだったんです。それは大きな反響がありましたし、自分の好きなもので喜んでもらえるんだって気づきになりました。

――お笑い芸人と並行して怪談を披露していくきっかけになったんですね。

ぁみ 正直、芸人としてランキングライブに出てても、そこそこ良い結果は残していたんですけど、僕らありがとうがライブに出ている頃って、ピースさん、ノブコブさん、はんにゃさん、しずるさんと同じところで戦ってるから、僕からしたらお笑いの化け物を目の当たりにしてる感じなんですよね。 自分たちのスタイルや志を持って活躍する化け物たちに刺激を受けたんで、自分が本当にやりたいことで切り開きたいって思いました。